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「20ミリ標準レンズ化同盟」へようこそ
わたしはほとんどの写真を50ミリで撮っている50ミリ信奉者です。でも、あるとき思ったのです。「50ミリを標準と思い込むことで、なにか大事なものから目を逸らしてきたのではないか」。
標準レンズは何ミリですか?
わたしのなかの小人たちにそう聞いてみたところ、ほとんど全員が「50ミリ」と答えました。
「なんで50ミリ?」
「はあ?昔から標準は50ミリに決まっとろうが!」
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最初のライカ版カメラのレンズが50ミリだったので、標準レンズは50ミリになりました。なぜそれが50だったのか?それは以前にも書いた通り、
・明るくてコンパクトなレンズを作りやすかった
・50がキリのよい数字だった
あたりが主な理由でしょう(わたしの憶測です)。それ以外のもっともらしい理由は、どれも正当化のための後付けに違いありません(個人的意見です)。
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「人の視野がだいたい50ミリ」
そんな話を聞いたとき、多くの人が思ったはずです「いやいやいや、オレの視野はそんなに狭くないし」。わたしもそう思いました(強いて言えば、特定のものを注視するときに意識の中に入ってくる範囲が50ミリくらいです)。
50ミリは目の前の世界を記録するには画角が狭すぎます。カメラのレンズも、本当はもっと広角なものを標準にしたかったのではないでしょうか。
その証拠に、コンパクトカメラが普及しはじめたころの焦点距離は、45ミリ、38ミリ、35ミリと、より広角を目指して進化しています。そして何より、技術的制約がかなり少なくなった今、「もっとも使われるカメラ」であるスマホのカメラのレンズは24ミリくらいになっています(加えて、もっと広角のカメラもついていたりします)。
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そう、「標準レンズは50ミリ」という先入観のせいで気づかないフリをしていただけ。わたしたちが欲しているのはより画角の広い、以前は「超広角」と呼ばれ特殊扱いされていたレンズなのです。
では、その中でキリのいい数字となると。
答えは出ましたね。
真の標準レンズ、それは20ミリです。
さあ、いまこそ「わたしたちの写真」を取り戻す時。
50ミリ信仰からの脱却。
オスカー・バルナックがなんぼのもんじゃ!
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標準レンズが50ミリだったせいで、わたしたちは写真を「撮りたいものを決めて切り取る」ものだと思わされてきました。「主題は明確に?」「広角は寄って撮れ?」そんな常識も50ミリを基準に考えるから生まれるのです。
35ミリや28ミリって難しいなあと感じているあなた。
それは50ミリと同じことを広角でやろうとしているからです。35や28では50ミリの呪縛からなかなか逃れられないのです。思い切って20ミリにして感覚を解き放ちませんか。
過去の写真を見返してみてください。
彼女の若い頃の写真、素敵ですね。でも、顔のアップばかりではつまらなくないですか。あなたが20ミリを使っていれば、公園の様子、周囲の人々、散らかった部屋の中、春の空の色、もっとたくさんのものが写っていて、思い出に彩りを添えてくれたはずなのに。
写真にはうまい写真とそうでない写真がある?
そんな考えも50ミリ信仰の弊害かもしれません。
それっぽいフレーミングで決定的瞬間を切り取った写真をいい写真だと思いこんでいるだけ。でも、写真は目の前の状況をそのまま写しとればいいのです。20ミリならそれができます。カメラを正面に向けてシャッターを押す。そこには「うまい」「うまくない」はありません。
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たとえば、海辺でただ波の音を聞いているとき。わたしたちはどれくらいの範囲を視覚で感じているでしょうか。世界に身を任せているときにぼんやりと意識している範囲。まさにそれが20ミリくらいではないでしょうか。
そして、そこには「切り取るべき主題」も「決定的瞬間」もありません。
そんな「ぼんやりと意識していた世界」を残していくのは素敵なことだと思いませんか。シャッターを押せば、対象を注視しなくても撮れてしまう。それは写真の強さでもあるのです。
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写真に「答え」は必要ありません。
むしろ、答えが見えた時に写真は輝きを失います。答えを求めたときに恋が終わるのと同じです。大事なのは自由な感覚に身を任せること。ただでさえ「わかりやすいもの」であふれた世の中、せめて写真くらいは「〇〇の写真」ではなく「答えのない裸の世界」を写してもいいのではないでしょうか。
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なんてエラソーなことを書いてしまいましたが、もちろん、50ミリを本気で否定しているわけではありません。ただ、写真を通してもっと「未知なもの」に出会いたいのです。きっと20ミリはそのための扉になってくれます。
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うっかりここまで読んでしまったあなた(ありがとうございます)。
明日、さっそく20ミリと一緒に出かけましょう。
「20ミリも」持っていくのではなく、「20ミリだけ」を持って。
わたしたちは普段、とても限定された視点で世界を見ています。そして、完全に自由な視点を持つことは不可能です。そんな中で、普段使うレンズの画角を変えるのはちいさな冒険です。その「ちいさな冒険」がこの世界を少し面白いものにしてくれる気がします。
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