人生の答え合わせをする前に
謝らないといけないことがたくさんある。
わたしの人生、恥と罪悪感ばっかりで。
その中でもひときわ新鮮なのが、「彼」に関する思い出。
すごく久しぶりに彼に会ったので、しょうがないから、どうしようもなく、記録したいと思う。
端的に言うと「彼」は、その昔一瞬、両思いになったことがある男性です。
当時、わたしには別の恋人がいた。
それなのに、わたしは彼を好きになってしまった。
もうどうしようもなくなって、恋人に別れを告げた。
でもわたしは、やっぱり本当は、別れを告げた恋人のほうが、大事なんじゃないかって思ってしまって。
彼には、「ごめん、前の人を捨てられない。あなたとは付き合えない」と言った。
彼は最初こそ変わらず声をかけてくれていたが、時間をかけて疎遠になっていって、そのまま。
そんなこんなが何年か前ほどにあり。
過程は省略。久しぶりに、彼に会うことになった。
✳︎
わたしはこの夜、ひとつやりたいことがあった。
彼に、わたし結婚したんだよ、と伝えたい。
ずっとどこかで言いたかったのだけど、言えていなかった。
いろいろと落ち着いてきたこのタイミングなら、言えるんじゃないだろうか。
きっと彼はおめでとうって言ってくれて、それで、わたしたちは改めて友人になる。
機会があれば、おしゃべりしたり、近況報告をしたりする。楽しくて穏やかな関係が続く。そういう算段。
ほかの友人が遅れそうだと連絡してきて、わたしと彼は2人きりで会うことになった。
結婚報告にはおあつらえ向き、なんてタイミング。
彼に会う前に、ビールを2杯飲んだ。
緊張して素面では会えないと思ったから。
呼吸が浅く、手が痺れた。
*
「実はね、わたし…結婚したの」
伝えたら彼は、「あ、そうなの?」と嬉しそうな声色で言った。
たぶんそんな声だった。顔が見れなかったからわからない。
「もしかしてお前、この前会った時、もう結婚してた?」
と、続けて彼は聞いた。
「あーー、うん、それは、おそらく、そうだね、いや、ごめん、はは、実はそうなの」
わたしは、しどろもどろになって言った。
ずっと彼の顔が見れないわたしは、机の上の自分の手を見てる。
結婚を伝えるタイミングを何度か逃していたことは、あっさりとバレていた。
「なんでだよ、無邪気に言えばよかったじゃん。わたし結婚したんだよって」
「大勢がいるとこで、あんまり言いたくなかったの。タイミングが、全然なくて」
ああ、いや、あれはウソだった。
たまたま開かれた飲み会に、彼がいたあの日。
わたしにとってはすごく特別な日だった。
小賢しいズルい考えで、彼にはまだ独身だと思われていたかったから。
だから言えなかった、言わなかった。
あの日、隣の席に座ったあなたの、肩が触れていたことにも気づいていた。
でも、そういうこともうやめなきゃと思ったから。
だから今日、伝えたのだった。
「なんでちょっと泣きそうな顔すんだよ」
と、彼は笑った。
*
彼女ができて、一緒に住んでる。
彼はいつの間にかそう言った。
その過程が思い出せない。
もうずっとお酒を飲んでいて。
「えっ、そうなの!?おめでとう!」
わたしは、口ではそう言った。
同時に、頭がワーーンと鳴った。
その時の彼の顔が、表情が、思い出せない。
この時はちゃんと見ていたはず。きっとショックで上書きされてしまった。
ああ、そうなんだ…。
俺は、一生人を好きにはなれないかもなんて、同棲なんかは出来ない性格だって、言っていたけど。そうなんだ、ついに相手を見つけたんだ。
今の彼女とは、一緒にいてもストレスがないんだとか、ああ、へえ、そうなんだ…。
ずいぶん歳下だと聞いたけど、でも、それがあなたの運命の人だったんだね…。
その日、話の中で誕生日がいつかと聞かれて。
かつて0時ちょうどにLINEくれてた誕生日も、すっかり記憶から消えてしまったようだと気づいて。
そりゃ、そうなんだけど。そりゃあ、そうなんだけど!
ああ、悲しかった。
縁遠くなってからも、彼の幸せを本気で願ってたはずなのに。
彼が本当に幸せになったら、全然喜べなかった。
自分は結婚を報告しておいて、このざま。
*
心が追いつかないまま、
「結婚って、どう?」
と、聞かれた。
すごく、いい。
して良かったよ。
ああ…でもなあ。
ここで結婚っていいよなんて言ったら、この人、結婚しちゃうんだろうなあ…。
「どうだろう…わかんないや」
そんな風に、答えてしまった。
結婚って、いいよ、すごくいい。
大好きで尊敬できる夫と、一緒にいられて。
同棲とは違う、盤石で頑丈な安心があって、自分の自己肯定感が上がるのがわかるし。
健やかで穏やかな毎日。それがずうっと続くんだから。そりゃ、いい。とってもいい!
あなたと過ごした毎日とは違う。
あなたが他の女の子に興味がわいてるの横目で見て、それに気づかないフリする必要もない。あなたが好きそうな仕草や服装や趣味を、気にすることだってないし。
次はいつわたしを必要としてくれるのかって、あなたの中で特別なわたしが、いつ飽きられて特別じゃなくなってしまうんだろうって。そういうのも。なくて。
*
結婚して良かったなんて、わたしからは絶対言ってあげないよ。
わたしとあなたとはもう、一切合切関係ないんだから。
だからあなたの判断材料の1つになるの、断ったっていいよね?
関係ないんだから。
だから、自分勝手に願った。
幸せになってほしいけど、わたしのいないとこで勝手に幸せにならないでよ。
無理ならせめて、せめてわたしのことたまに思い出して切なくなってよ。
ちょっとだけでいいから、本当にちょっとだけでいいから!
そう言って駄々をこねるわたしをたまに想像して、笑ってほしいよ。
どうしたの?って彼女に聞かれて、曖昧に誤魔化してほしい。
そうして心の端っこの、どこかにわたしを置いていてほしい。
「どうだろう…わかんないや」
のあとで、わたし、
「結婚がよかったか、死ぬときに答え合わせできたらいいな」
なんて言った。
この人生でよかったのか、それは死ぬときに答え合わせだな。
いつか彼が言ってた言葉だった。
どっかで思い出してほしかったから、そう言った。
もう関係ないわたしが、自分勝手にそう言ったんだった。
*
な〜んて、ね!
そんな風に話した30分後には罪悪感に駆られ、遅れて合流した友人と「同棲してるなら、次は結婚だね!いいね!パーッと、しちゃいなよ☆」って背中押してたわ。
そんで、
うーん、まあな、
なんて言われてやっぱり、アーッとなった。
はああ、わからん。
この人といると、感情がおかしくなって、自分がめちゃくちゃでダメになる。
*
わたしが彼との思い出について、恥や罪悪感を感じがちなのは、彼といるわたしがすごくめちゃくちゃだからだと思う。めちゃくちゃで不誠実で、自分でもよくわからないままに、後悔して、いつのまにか悲しくなってるのだ。
その夜もそうだった。
自分勝手で、めちゃくちゃで。
もう少し、整理できるようになって、ゆるぎない自信で自分が満ちたら。
わたしは彼の幸せをちゃんと喜べて、恥も罪悪感も感じずにいられるんだろうけど。
散らかったみっともないわたしのこと、わたしはやっぱり嫌いになれなくて、そんなわたしがもうすっかり消えてしまうのは、なんともどうしようもなく惜しかったのだ。
めちゃくちゃなわたしと彼との関係性が、どこかに小さく残っていてほしいと、思ってしまったから。
わたしと彼が改めて友人に…なんて、多分もうなれないんだと思う。
その夜、最後にはひざが触れていた。
2件目の店を出て、終電に間に合うように駆けながら、「早く旦那が待つ家に帰れよ!」なんて背中で聞きながら。
ああ、わたし、またあなたに会いたい。
いつかきっと。10年後くらいに。
またあなたに会って、その後2週間くらい、みっともなくまた引きずりたい。
彼はわたしのあさましい考えに、気づいていただろうから、性懲りも無く変わらないわたしをちゃんと軽蔑して、もう会ってくれないかもしれない。
それでもいいけど。
いや、やっぱりいやだけど。
人生の答え合わせをする前に。
その直前にふと思い出してくれないかな、それくらいだけ、願わせてほしい。