きっと2019年のわたしには、罰があたる(エッセイ)
これまでに、悪いことをたくさんしてきた。
例えば、髪を乾かすときや。
例えば、電車に揺られるとき。
ふと、今までしてきた悪事を、思い出すときがある。
1番小さな悪事は、母に言わないで食べた冷蔵庫のアイスクリーム。
その次は、風呂にも入らず徹夜で続けたファイナルファンタジー。
そのままずっと辿って行って、
最終的には人を傷つけた話になる。
一方的に悪いということはない。
わかっている。
でも、わたしがわたしを守ろうとして、
いや、わたしがわたしを満たそうとして、
1番になりたくて、
わたしだけが幸せになりたくて、
残酷な言葉や態度を選んでしまったことは、
それはやはり、悪いことなのだと思う。
ごめんなさい、と言うだけなら。
簡単に許された気になって、
忘れてしまうのは簡単なのだけど。
そうした恥ずかしいチリチリとした心臓の痛みが、結局大人になっても離れない。
離れないことが正常だとも思いつつ、
どうしたら許されるのかわからない。
自分で自分が許せないから、
相手の誰にも許してはもらえないと思っている。
だからいつまでも、思い出したように胸が痛くなって、その痛みを誤魔化すように、息を吐き出している。
そんな痛みを抱えたまま、
今年もまた終わる。
これだけ、悪い子なんだから。
そろそろ罰があたるのだと思っているのだけれど。
傷つけてきたぶん、傷つけられるだろうに。
それなのに、私の周りの人たちは本当に優しい。
大嫌いな仕事も、大嫌いな人たちも、大嫌いな時間や場所も、誰か優しい人がいたおかげで、まぁマシくらいには感じることができている。
今年の夏に弱って、
逃げてしまいたいと思っていたけれど。
ふやふやした気持ちでいたら、
いつの間にか感謝の念を抱いている。
こんなに恵まれるわけがないだろう。
今までわたしが傷つけてきた人たち。
ないがしろにして、何度もなぶった人たち。
これだけ、悪い子なのに。
そろそろ罰があたるはずなのに。
きっと来年こそは。
来年こそは、罰があたる。
その時まで、どうかわたしの優しい人たちが、側にいてくれますように。
今、周りにいるまさにその人たちに、
感謝を返すことが出来ますように。
悪いことは消えないけれど。
どうかもうこれ以上の悪いことを重ねないで済みますように。
悪いことは消えないけれど。
けれどどうか、許されますように。
本当はあたらないでほしいこの罰を、
どうか優しく迎え入れられますように。
2018.12.31.
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