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変わらないものと、変わり続けるもの。
出版業界がオワコンと言われ始めて久しい。
実際、出版物の市場規模は雑誌、書籍を中心に確実に衰退傾向にある。
だが、本当に出版という領域はいつか滅びてしまうのだろうか?
それは違うと思う。
ここで出版業界全体の未来を深刻に語るつもりはない。
だから今から書くのは、個人の実感レベルの話だ。
いつの時代も人は心に響く言葉を求めている
心に響く言葉というのはいつの時代も必要とされるものだと思う。
人類が言葉を発明した瞬間から、誰かの価値観を揺り動かす言葉や、そこから得られる人生訓が、それを読んだ人の一生を大きく変えてきたことは間違いない。
接し方や程度の差こそあれど、いつの時代も人は言葉によって変化していくことを求めているのだ。
誰がいつ、どこで言葉というものを生み出したのかはわからないけれど、そこから何千、何万年という月日が流れた今でも、私達はますます言葉や文章の持つインパクトの大きさを実感している。
現代社会で生きていく以上、日々のコミュニケーションは言葉のやり取りそのものだ。プライベートな時間でも、SNSなど日頃触れるコンテンツの多くが、誰かが発した言葉としてインプットされる。
私達は、日々の感性のほとんどを「言葉を読み解くこと」に費やしている。
言葉によって疲弊することもある。だが、言葉によって救われることも多い。
何気なく読んだTwitterの一文が、その後の人生を大きく変えてしまう衝撃を与えることもある。
それこそnoteで誰もが言葉の届け手になり得る今、言葉によって生まれる感動や学びの機会はますます増えていくだろう。
「全員書き手時代」の出版の役割
ならば、そんな「全員が書き手になり得る時代」における出版の役割とはなにか。
それは、書き手の言葉を、なるべく洗練された形で世に届け広めることだと思う。
noteで個人的に文章を書くことは誰でもできる。
でも、それを本にして世に広めようとすれば、ふだん書いている以上の意志と思考力が必要になる。つまり、本を作るという決断とプロセス自体が、書き手のレベルを一段階引き上げることになる。そこに編集という他者の視点が加われば、書き手の思考はさらに研ぎ澄まされていく。
そうして洗練されていった文章は、書き手の人生をかけたメッセージとして、読者の心を大きく揺り動かしうるものとなる。
「書く」という行為は、今やほとんど誰でも出来るがゆえに、それに人生をかけて取り組むことは意外と簡単ではない。
出版という領域の特権が薄れていく今だからこそ、「本当に伝えるべきこと」を吟味して、あえて本の形にすることが持つ意味は大きい。
言葉が持つ変わらない価値を、書き手とともに洗練し、忘れられないように未来につないでいく。
それがきっと、今の時代に出版が担うべき役割だ。
手段を変えることを恐れない
だが一方で、「変わっていくべきもの」にも目を向けなければならない。
良くも悪くも、「時代遅れ」のものには人は目を向けない。
誰かに伝えたいと思って書いた言葉も、振り向きもされなければ意味がないのだ。
だから、「次世代の教科書」では、時代に合った伝え方の手法として電子書籍とWebサイトという形式を選んだ。
それはいい文章をいち早く必要とする人に届けたい、どんな場所でも読めるようにしてほしいという思いからだ。
様々な著者の様々な生き方・考え方に、よりたくさん、より濃密に触れてもらうための最適解。本が投げかける問いに対して自分なりの答えを生み出し続けるという、読書だけが持つ体験の提供。
今こそ、それが必要だと強く思ったからこのスタイルを選んだ。
人こそが教科書
どんな新しい試みにも、その根底には言葉が持つ「変わらない価値」への信頼がある。
その信頼に共感してもらえる人は、きっと誰でも「次世代の教科書」の作り手になり得ると思っている。
実際、新しい教科書の作り手になるべきなのは、たくさん知識を持っている人ではなく、誰かに何かを伝えたいという強い意志を持っている人だ。
そういう人には、言葉の持つ変わらない価値の輝きが眠っている。
その輝きを、未来に向けて届けるサポートをしたい。
言葉によって救われ、言葉によって誰かを救おうとしているあなたへ。
今まさに、なにかを書こうと思っている人へ。
「次世代の教科書」にあなたの本が並ぶ日を待ち望んでいます。