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家族について本気出して考えてみた〜妻が今まで経験した「家族」について〜

私はアラサーの既婚女性。
子供はまだいない。

私はいわゆる機能不全家族で育った、毒親育ちのアダルトチルドレン(AC)というやつなのだと思う。思うというのは、医療機関でそうだと診断書をもらったわけでもないし、学術的にもその分野では様々な考え方があるということなので、あくまで自覚のある範囲で、そういうカテゴライズをされる生育環境と現在の自分の状態なのだという、エクスキューズをつけさせていただく。

あくまでこれは、私の考えや主観であり、別の視点から見たら全く別の話になるかもしれない。

物心ついたときの記憶は、お腹がすいて生の人参や大根をかじっていたことである。冷蔵庫の野菜室にはかろうじて背が届いたこと、包丁やピーラーを使わせてもらえる状況ではなかったので、皮ごとかじっていた、という記憶。

遅く生まれた一人娘なので、たいそう可愛がられて育った。
母は私がいつまでも「かわいい赤ちゃん」で、自分のそばにいることを願っていた、のかもしれない。
結婚前から幾つか思い出したことがあって、私は「箱入り娘」だったのだ。
ベビーチェアの代わりにダンボールの中に入れられて、「あなたは可愛い”箱入り娘”なのよ」と言われたこと。「箱に入っているあなたを橋の下で拾ったのよ」という冗談(私は大人になるまで半ば信じていた)。小学生になっても、赤ちゃん用のボーロやベビーせんべいのようなものが「おやつ」だった。私がそれをねだると母は喜んだ。他の友達が食べているようなお菓子は「まだ早い」(人生で何回言われたことか)と買ってもらえなかった。

父は海外単身赴任が多く、一緒に住んだのは小学生になってからだった。空港に迎えに来た男性を、写真で見ていた「お父さん」がリアルに動いていることに少し戸惑いを覚えた記憶がある。

憧れの「お父さん」は、とても立派な家に住んでいて、でも、どうやらその赴任地域に住んでいる日本人の友達の家はみんなそういう家に住んでいるようだった。とにかく忙しかった(らしい)ので、あまり会話をした記憶はない。ただ、お土産を買ってきたりしてくれる、優しい人だった。父が好きだった。ただ、母親と父親が喧嘩をするたびに、怖くて怖くて、ぬいぐるみを抱きしめて布団の中に潜って、早くお父さんとお母さんが仲直りしますように、と「死んだおじいちゃんおばあちゃん」と「神様」にお願いしていた。マンションの外から聞こえる内戦の音(銃撃戦の音や爆発や破裂音)より、お父さんとお母さんの喧嘩のほうが怖かった。

今なら、言葉も通じない慣れない土地で、久々に同居する夫も忙しく、母親にも様々な苦労があったのだと思う。

中学生で日本に帰国して、日本の男女の距離感にびっくりしたし、徐々に成長するからだについて、母親から怒られたことを覚えている。
メガネが必要と学校の健康診断で「お手紙」をもらってくるたびに髪の毛を引っ張られたりつねられたり引っかかれたりして、「五体満足に産んでやったのに」と怒られたこと。学校の先生にも、黒板が見えないと言ったらメガネを買ってもらうようにと怒られたこと。生ゴミが家庭での食事に出るようになり、食べないと怒られたこと。朝、ナイフやフォークが飛んできたこと。仕方なく自分の分のお弁当作りや洗濯をするようになったこと。母はグーで殴ったり、跡が残るようなことはしなかったので、「これは虐待ではない」と言われたこと、「ひっぱたくほうが痛いんだよ」と言われて、これは愛なのだと、その愛を受け取れない自分がなんと未熟なのだと反省し、親を殺したらどうなるか考え調べたこと。いざとなったら、心の拠り所にしていた、パスポートと通帳を親が隠しているつもりの場所を確かめていたこと。

早く大人になりたい学生時代だった。
制限付きではあるが、進学させてもらった大学ではだいぶ自由になった。
でも、そんな時に限って母は「あんただけ幸せになろうったってそうはいかないよ。わたしだってそうだったんだから。そうできてるんだから」と、私に呪いをかけた。

母方の祖父が亡くなったことを機に、思い切って貯金と貯めていた給料で家を借りて「実家」を飛び出した。独り暮らしについては散々話しをしたが、聞く耳を持ってくれなかったので、私としても断腸の思いだった。
以来、「実家」に帰って母親に塩をまいて追い払われてから、何年も連絡を取っていなかった。父とは細々とやり取りをしていて、結婚を決めた時も、結婚式が決まってからも、母はギリギリまで「急に言われても判断がつかない」と夫に会うことも拒んでいた。

夫と結婚する際も、味方だと思っていた父親から容赦ない言葉を浴びせられたり、だいぶ高齢になった親族を巻き込みながら、散々な思いをして、なんとか結婚した。夫にも、夫の親に説明をどうするのかも難しかった。

親族のみで挙式をあげて、あぁ、これで親族孝行したわ、と、長年の重荷を降ろしたような、複雑な気持ちになったことを覚えている。

結婚しようと決めてから、過去の思い出のようなものが急に蘇るようになった。今でも、夢に母がよく出てくる。悪夢は鮮明で、今では夢だったのか現実だったのかよくわからないこともたくさんある。また、普段から「自分が悪い」という思考に陥りがちである。「自分は無能だ」というスキーマも抱えているし、人の顔色や場の空気を読もうと必死になる傾向もある。猪突猛進的な性格で、人の世話を焼きたがるところもある。感情の起伏は激しいが、仕事の場では「クール」と言われがちである。

それでも私は生きている。
「結婚したんだから、愛されて幸せな生活ね」と言われるたびに違和感を抱く。
「一人っ子だから、可愛がってもらえて幸せね」と言われていた時と同じ気分、と、ふと思った。

自分の幸せは自分で決めることができる。他人の幸せなんて、他人にはわからないのだ。他人に「幸せなはずなのに、文句を言ったらバチが当たる」なんて、「自分で決めた結婚なのに愚痴言われても」なんて言葉に、振り回されて自分を責める必要はないのだ。

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