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『白木蓮のドレス・夕』

 初春のこの時期はいかにもという感じで人々は沸き立ち、活動量が増加する。かくいうかずもその一人であるが、どうもその現実がうれしくもあり、どこか周りと同じことへの落胆も付きまとっていた。

「俺はたぶん人を好きになれない。」

高校時代、薄紫のスイートピーにキスする場面をあやに見られ、かずは初めて自分の恋愛対象が花であることを伝えた。正直、一度も人に向けて恋をしたことがないかずには花に対するこの感情が恋愛か定かではない。確実に言えるのは、花に対して湧き上がるあの温かい感情を人に対して持った経験がないということだ。

 窓から入り込んだ初春の風がかずの頬をなぜて過ぎ去ってゆく。いつも人間の自分は季節に取り残され、花が散り、よみがえるその循環の仲間に加わることができない。初春はそんな孤独を感じる季節で、だが花々が咲き誇りかずの冷えた心の隙間を埋める季節でもあった。

 座っていた椅子から立ち上がって自分の背より高い位置にある本を取ろうと手を伸ばした時、自分の左薬指のきらめきでかずは目を細めた。
いまや自分を取り巻く人間はかずが既婚者だと思っている。自分の特異さに理解のあるあや以外に大して仲の良い友人はいないし、両親はすでに他界していたので誰も結婚相手が誰か詮索してこないのだ。
この指輪の片割れは特定の相手を選ばない。かずが自分自身の中でたてた誓のしるしである。

 本棚から引きずり出した図鑑を作業台に置き、今日は季節違いの花をいつくしむ。秋の花々のページになり、コスモスがこちらに向かって笑う。コスモスを見るといつもあやを思い出す。笑った顔が似ているのだ。
 また薬指がちらっと光る。窓から差し込んだ夕日が部屋全体を温かいオレンジ色染め上げていた。無機質なコンクリート壁には夕日色がにじんだようなドレスがいる。
白木蓮のドレス。
あやに協力を依頼してから既に1年がたったここ最近、やっと完成したものだった。光で裾のビジューがちらちらとその存在を主張している。自然素材のコットンは見事に夕日となじみ、かずに牧家的なイメージをもたらすと思えば、袖のオーガンジーが都会的で洗練された景色を見せる。
なめらかなシルクのドレープが目に入り、最後のひと仕上げと意気込んで作業を進めたあやの手元を映す。正しくは、あやの右手薬指のきらめき。特定の相手の居る輝く指輪がいつの間にかあやの華奢な薬指に鎮座していた。

気づいてそれに指摘したとき、あやは苦笑いをして、
「この前会った時もしていたよ。」
と応えた。
はっきりと分からないざらついた感情が押し寄せるのを感じてかずは意識を図鑑のコスモスに戻す。

「あやが花だったらなぁ。」
いつか放ったのと似た言葉をかずは独り言つ。


どうにも救われない、交わらない


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