かつて着物警察だった私の、気持ちの変化と1冊の本
着物警察からの脱却
ふだん着物を楽しむようになって2年弱、いろんな着物を見てきて、自分で体験してきて、今思うことがあります。
それは、かつて私自身も着物警察だったということ。
レンタルの着物をどこか下に見ていたし、着物を着た人が集まる場所に行けば、「あの人は衣紋が抜けていない」「あの人はお太鼓が曲がっている」と欠点探しをしていました。
お正月番組で芸能人の着物を見ても、成人式で振袖姿を見ても、どこか「できていない部分」を探していたように思います。
それを直接本人に伝えたりしたことはないけれど、そう思っている時点で、隣にいる家族に「あれってさ…」と告げ口している時点でアウト。
なぜそんな風に思っていたのか。
それは、着物には「正解がある」と無意識のうちに考えていたからだ、と今はわかります。
その「正解」から外れているものは、「間違い」と感じて指摘したくなる。
意識の変化と1冊の本との出会い
でも、ふだん着物を楽しみ始めてからは、そう思う自分の気持ちにどこかモヤモヤしていました。
私がnoteやインスタグラムで発信しているのは、「着物って楽しい」と思ってくれる人が増えて欲しいから。
それなのに、私は正反対の意識を持っていました。
ふだん着物を始める前は、たまにしか着物を着なかったから尚更だったのかも、と今では思います。
このような気持ちの変化に気づけたのは、1冊の本を読んだことがきっかけでした。
読む前は小難しそう、と思っていましたが、読み始めたら対談形式で読みやすく、惹きつけられる内容ばかりで一気に読んでしまいました。
*この記事は、一部書籍の内容を抜粋しながら、私が感じたことをまとめています
「伝統」というパワーワードと勘違い
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