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黒には無数のグラデーションがある

先週末は呼吸のスクールでした。
(声の出し方を伝えるため、カードリーディングの品質に必須のお勉強です。)

簡単に言うと”身体とコミュニケーション”、自分の身体の扱い方と向き合う時間といいましょうか。

しかし、”身体とコミュニケーション”ってふわっとした言葉。
腕立て伏せで例えてみましょう。

みなさん、これまでの経験で「それっぽい」腕立て伏せは出来ますよね。
しかし、全く同じことを体感してわけではないですよね!?
体格や運動経験も違うので、その時の全身の力の入れ具合、抜き具合は人によって違いますから。

だから、何度もやると肩が痛い、二の腕が痛いl手のひらが痛いよ!というかつての私のような方もいれば、こんなの超簡単ダゼ!な方もいます。

「どのような」腕立て伏せをするかで、経験していること、身体に感じていることが全然違っているんです。

実現したいこと(腕立て伏せ)を今の自分の身体で最適にやるにはどうしたらいい?をアレコレやっているのがスクールです。

前掲の素描教室で習ったのですが、
黒には無数のグラデーションがあり、水墨画なんかは20種類の黒があり、構図やテクニックで幽玄な世界観を表現しているそうです。

描きたい対象の像を、どこまでそれを見分けて、言葉で知覚し、
法則やテクニックを紙面に落とし込めるかで表現できる世界が決まるのだそうです。

この視点で身体の動きを見てみると、面白いことがわかります。
身体を動かすことは、筋肉の緊張と収縮の結果です。
筋肉に力を入れている状態を黒、力を緩めていることを白としてみたとき、自分の何気なくしている動作や所作は、どんな具合に表現されているのか。

黒のグラデーションがなくて荒い線だけだったり、
途中で線がつながらずに途切れていたり、詳細に描いたところもあれば、スカスカだったり、、気が付かないのは自分だけ、、的なことが起きていそうです。

私は今の身体の動きを何色でどんな像を表現しているのかな。
自分を人に伝えているのだろう?と今回の授業を受けていて思いました。

スクールでは自分の身体の動きを把握する手段は、「呼吸」です。
素描と同じように目ももちろん使いますが、目だけだとこんな感じかな?と自分の身体から離れてマネッコになってしまいます。
(”それっぽい腕立て伏せ”、”バナナっぽい”ものになってしまう。)

重きを置くのはあくまで「息が止まるか止まらないか」
とてもシンプルでウソがない、ごまかせない。
何気ない自分の身体の動きを、どんな息遣いで実現しているかをとらえる。

なぜそのようなスクールに行くの?と不思議に思われるかもですが、

”身体とコミュニケーション”に一歩前進があると、
自分の扱い方、周囲との関係性にも波紋が及び、時には大きく行動も変わります。そして、呼吸をする機会があるだけ変わる機会があること、
これ以外にいっぱいありますが、いまのところ思いつく学ぶ理由です。

写真は、現状を変えるヒントを沢山もらった帰り道の空。やるかやらないか。

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