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『ベートーヴェン』と『悲劇の誕生』Ⅰ
ニーチェの『悲劇の誕生』が、ショーペンハウアー哲学の強い影響のもと書かれたものであることは周知の通りである。しかし、1871年末に完成されたこの『悲劇の誕生』が、1870年末に出版されたリヒャルト・ワーグナーの『ベートーヴェン』とも思想的な関連を持っていたことはあまり指摘されていないのではないだろうか。
ただし、ニーチェはワーグナーから一方的に影響を受けて『悲劇の誕生』を書き上げたわけではない。『ベートーヴェン』の出版以前に、既にニーチェは『ディオニュソス的世界観』という論文で、後にほぼそのままの形で『悲劇の誕生』に組み込まれる議論を展開していたことに注意しなければならない。
つまりワーグナーの『ベートーヴェン』とニーチェの『悲劇の誕生』は、どちらのアイデアが先にあったかという話ではなく、両方が共にショーペンハウアー哲学という共通の土台から生まれたものであったということが実情である。では『悲劇の誕生』と『ベートーヴェン』はそれぞれ具体的にどのような影響を、ショーペンハウアー哲学に負っているのだろうか。
以下の論考では次のことを目指す。まず、①ショーペンハウアー哲学における「意志」と「表象」という対概念を、芸術活動の観点から整理する。次に、②ショーペンハウアーの影響を色濃く受けていたワーグナーの『ベートーヴェン』における「響きの世界」と「光の世界」と、③前期ニーチェの代表作『悲劇の誕生』における「ディオニュソス」と「アポロン」というそれぞれの対概念を整理する。最後に、『悲劇の誕生』と『ベートーヴェン』の④共通点、⑤相違点を述べる。なお、本記事では①から③までに取り掛かる。
これによって、『悲劇の誕生」と『ベートーヴェン』がそれぞれどのような形でショーペンハウアーの形而上学を引き継いでいたのかと、『悲劇の誕生』のオリジナリティは何だったのかが明らかになる。なお、この論考の主な内容は西尾幹二『ニーチェ』(2012)に負っている。
①ショーペンハウアー哲学における「意志」と「表象」
まず、ショーペンハウアーの「意志」と「表象」という対概念、およびそれらと人間の芸術活動との関連を明らかにする。
ショーペンハウアーにとっては、「意志が世界の本質であり、唯一の実在であり、物自体」である。カント哲学の継承を自認するショーペンハウアーは、意志は「物自体」であり、通常の人間の認識が及ばないものだと考える。
しかし、人間の認識主観が芸術の力を借りて高められ、「意志に対する奉仕や隷属」から解放されると、その認識主観は「純粋主観」となる。「純粋主観」は、意志を直接認識することはできないが、「客観化された意志」であるイデアを認識できる。つまり、「純粋主観」によってイデアは普遍的表象として美的に観照されることになる。
天才は「純粋主観」を用いることでこの「客観化された意志」であるイデアを認識し、それを模倣することで芸術作品を作り上げる。ショーペンハウアーは、こうした芸術作品の中でも音楽だけは特別であると考える。音楽以外の他の造形芸術がイデアの模写に過ぎないのに対して、音楽は「意志それ自体の模写」だからである。
②『ベートーヴェン』における「響きの世界」と「光の世界」
次に、ワーグナーの『ベートーヴェン』における「響きの世界」と「光の世界」という対概念を整理する。
ワーグナーは、ショーペンハウアーの「意志」と「表象」の二元論に対応する形で、「響きの世界」と「光の世界」という対概念を考案する。そして、前者を表現する音楽家と、後者を表現する他の芸術家との違いを強調する。
前者の「響きの世界」はショーペンハウアーの「意志」と同様、人間の客観的認識によって理解することができない。「響きの世界」は、「外部に向けられた直感の機能」によってではなく、「心の内部への自己意識」によってはじめて把握される。「響きの世界」が「内向的な夢の脳機能の意識する第二世界」であるとしたら、「光」の世界は「外向的なめざめた脳機能の直感する第一世界」である。
「響きの世界」である第二世界の中にはさらに、⑴「深い眠りの第一の夢」と、⑵「目覚める直前の比喩的な第二の夢」の二段階が存在する。第一段階である⑴「深い眠りの第一の夢」で人が体験したものが、第二段階である⑵「目覚める直前の比喩的な第二の夢」に翻訳される際に、「意志の写し」としての「音」が立ち現れる。ここにこそ、音楽芸術が成立するとワーグナーは考える。それに反して、「光の世界」は、「くまなく照り輝く白昼の現実」である。「光の世界」は時間、空間、因果性という形式に拘束された個体の世界であり、夢が形成される余地はなく、ここにおいて造形芸術が成り立つとされる。
次回の記事では、③~⑤の観点に取り掛かる。