note始めましたー呼吸をお手本にインプットしたらアウトプット
超小心者であることを除いては心身ともに丈夫な私ですが、生まれた時から全ての命あるものに確実にやって来る老いと死。その準備として何ができるか考えた時、後悔なく生き尽くすことしかないんじゃないかと。私の場合生き尽くすとは、最後まで好奇心を持って自分なりに学び、学んだことを実践(=実験)していくこと、と思っています。
そして、気づきや学びを身につけていくには、言語化しアウトプットすることが一番有効、と樺沢紫苑先生もおっしゃってたし、呼吸と同じように、インプットしてはアウトプットする。TakeしたらGiveする。命が続く限りはこういった循環を作ろう、ということでnoteにもトライしてみます。
昨今Youtube(映像)やVOICY(音声)といったプラットフォームもあるのに、なぜnoteかというと、受け手にとって文字情報はタイパ(タイムパフォーマンス)が一番優れているからなのです。文字情報は話し言葉より平均で4−5倍のスピードで理解・吸収されます。Youtubeなど早回しできるとしても2倍まで。同じコンテンツでもそのスピードは文字情報にはかなわないのです。
送り手である私にとっても、より正確で端的な言語化能力を身につける練習にもなり、参入ハードルも低いnoteにしました。
もし読者の皆様に少しでもご参考になるものであれば、さらにさらに嬉しくって励みになります。どうぞよろしくお願い申し上げます。
自己紹介 木蔵(ぼくら)シャフェ君子と申します
何しろ還暦、長くなってすみません。どうぞ適宜読み飛ばしてください。
私は岡山県の県北、過疎の村で生まれ田舎でのびのびと育った体育会系女子で、ハードルと幅跳びで県大会入賞、ハンドボールでは岡山県優勝チームのキャプテンでした。えっへん!(数少ない自慢できることだから、許してちょ)
幼少期より海外の「か」の字もない環境で、「大きくなったら海外に住みたい」と思い始めます。多分TVドラマ「アテンション・プリーズ」の影響と思われます。子供ってそういうものよね。
12歳で父が突然交通事故で亡くなり、一気に子供時代を卒業。それでなくても質素な生活がさらに貧窮するなか、認知症の祖母と私と兄二人を抱えて寡婦になってしまった母が、めちゃくちゃ頑張って育ててくれました。その母のレジリエンスとひたむきな姿を見られたことは一生の財産です。
高校卒業したら家計のために就職!と思いこんでたら、母と担任の先生から、「大丈夫だから進学しなさい」と説得され、諸々奨学金ももらえて、憧れのICU(国際基督教大学)へ行けることに。でも大学では優秀な人ばかりで都会の生活にも慣れず、4年間イケてない劣等生でした。とほほ。。。
就職氷河期といわれたバブル前、縁故のないイケてない女子学生が狙える総合職は一握りの会社でしかなく、職種を選ぶ贅沢はありませんでした。それでもとある金融関係の会社の総合職で入社でき、やっと経済的に自立でき、「お金を貯めれば海外に行ける!」と、あきらめていた夢がよみがえったのでした。
そしてひたすら貯金に精を出し、遂に大学院留学のためにボストンへ!結局3年いたボストンではいろいろありましたが省略。。。なんとかボストン大学のMBAをゲットし、P&Gの日本支社に就職。ここから12年、私の「外資系バリキャリ時代」です。残業、出張、昇進、転職ーーキャリアと自分のアイデンティティががっつり重なった時でした。
始めやりがいを感じていた仕事も終わり頃には「会社の営利ではなく、人の役に立つことを仕事にできないか」と疑問を持ち始めてしまい、1回目の燃え尽きを起こして退職、そしてアメリカに戻ってやり直すことを決めたのでした。
はい、1回目の燃え尽き、とあるのはこの後も懲りずに何度かやらかしてしまうからです。でも長くなるので以下省略ーーーー。
このnoteでアウトプットしようと思っていること
そもそも自分の学びのためという自分勝手な動機ですので、次に挙げるようにまとまりがないことが予想されます。
仏教・マインドフルネス・コンパッションについて何でも
参加したセミナー・ワークショップのまとめ
読書ノート
「習慣化・ルーティンの鬼」への道(試行錯誤だらけ)
変形性関節症に向き合う(あくまで私個人が試したり気づいたことです)
他SNSでリクエストをいただいたこと
初めてのnoteお付き合いいただき本当にありがとうございました!
次は、最近参加したワークショップ「No-Self Compassion」で学んだことをまとめてみたいと思います。
木蔵シャフェ君子
PS:以下に7−9月のイベント、出版物などお知らせさせていただきます。