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「どっちもいらない」と言える勇気

note仲間のおじぞうさんことスギオカさんが、選択について書かかれていて、ふと思いついたことを書いてみます。
記事はこちらです。

ちなみに……記事の冒頭にあるように、スギオカさんも、製本アーティスト山﨑曜さんに刺激されて、この記事を書かれたとのこと。
それに刺激されて、わたしが書いて、もしかするとそれを読んだ誰かが、何かを書いて――これがずっと続いていったら楽しいですね(^^)

ちょっと脱線しましたが、わたしの記事のテーマは「しないという選択」についてです。

20世紀までは「あれか、これか」の二元論が主流でした。
それが今では「あれも、これも」になっていますよね。

(中略)

「みかんとりんごのどちらにする?」と聞かれた際に、「両方ちょうだい」というのは20世紀には御法度でした。
それが今では、「どちらも欲しい」と「どっちもいらない」を、ひとまず言えるようになった感じ。

上記のおじぞうさんの記事より抜粋

面白いのは、この「あれも、これも」に2通りあると言うこと。
どっちもほしい!と、どっちもいらない!の2つ。

わたしが新鮮に感じたのは、後の方なんです。
「どっちもいらない!」

これは社会が豊かになったからこそ言える一言だなあと。

おじぞうさんが書かれているように、昭和時代には絶対に言わなかった言葉です。本音では「どっちもほしい」けど、子供でさえそれは言っちゃダメなこと。それを「いらない!」なんて、ワガママというか、最高の贅沢だったのですよ。

それが当然のように選択肢に入ったのは、生活が豊かになったから。
バブル期から平成になったあたりで、大人も子供も欲張りモード全開でOKという世相に変わった気がします。

それが進んで(進み過ぎて?)「いらない」というモードが誕生します。

火付け役はおそらく、断捨離という言葉を世に広めた、やましたひでこさん『モノを捨てればうまくいく 断捨離のすすめ』(2009年12月刊)。
そして、世界的なブームにまでなった、こんまりさんの『人生がときめく片づけの魔法』(2011年1月刊)へと流れが続いていきました。

モノ余りの時代、溢れかえるモノにすっかり疲れてしまった。そんな世相が見えてきます。

それが令和になった今、「どちらもいらない」という選択肢には、多すぎることへの疲労感とは異なる感覚があるように見えます。

より良いモノ、本当に自分に必要なものを選ぶという視点を持つように変わってきたことが、その理由でしょうか。
 

ただお腹が満たされればいい状況から、美味しいものをお腹いっぱいに食べることが幸せになり、それがさらに進んで、いま自分にとって必要なものを必要なだけ大切に食べる、そんな意識に変化してきた。

本当に豊かなことだなあとつくづく思います。

都心のタワマンに暮らさなくても、人は幸せに生きられます。
本当に必要なことって、ささやかなものです。

それが何かさえわかっていれば、自分が本当に求めているものを自覚出来れば、今ここからすぐに、満たされて生きていくことができます。

必要としていないのなら「どっちもいらない」ときっぱりと言えること。
それが幸せな毎日を生きていくための第一歩かもしれませんね。

ただし、本当に欲しいものに対しては、貪欲に!です。
これ大事。

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