私の幸せは 私が決める
◉私が考える病気の概念
◎病気は「なる」ものというより、「見つける」もの
【健康】という概念は難しいものだな、と感じます。
もし、自分が糖尿病だとしても、気づいていなければ「私は健康です」と言うでしょう。
私は人間ドックも実施していた病院で、5年間の勤務経験があります。
項目が少ない健康診断~手厚い人間ドックまで、様々な検診を実施していて、年間受診者は2万人弱。
要するに、自分の体の異変に「気づいていない」人が多い印象でした。
その時、私は
「病気って、【見つける】ものなんだな」
と思っていました。
◎制限があるから気づけることもある
いずれの病気も、日常生活に制限が課されることが多いと思います。
服薬、食事制限、禁酒、禁煙、運動可否、もしかしたら、仕事上の制限もあるかもしれませんね。
私は、服薬・食事制限・禁酒(タバコは吸っていませんでした)・激しい運動と日焼けはNG。ちょっと制限が多めの病気です。
最初は、本当に嫌でした(笑)
なんで、私だけ…
お酒飲みたい
カフェ行ってケーキ食べたい
制限されると、余計にやりたくなる。
「押すな」と書かれていると押したくなる。
1年経ったころ、少しだけ食事制限が緩和され、久しぶりにスタバでケーキとキャラメルマキアートを堪能しました。
その時の感動は忘れられません。
病気が分かる前は、バンバン飲んでいて、「おいしいな~」くらいにしか思っていなかったのに、「すっごいおいしい!めっちゃ幸せ。頑張ってよかった!!」と喜びが大きくなったのです。
人は失うと、そのモノの有難さに気づきますよね
以前は【何とも】思っていなかったことも、【ありがたい】【幸せ】と思えるようになり、結果、幸福度は増していっています。
◉誰かの人生を「こう」と決めつけるのは失礼
◎母子家庭=可哀そう、と言われた過去
小学生のとき、よくこういう会話がありました。
「Michikaちゃんのお父さん、何しているの(職業)?」
子ども同士で、互いの両親の話をする。
まあ、よくあることかな、と思います。
そこで
「4歳の時に亡くなってるんだ」
と正直に言うと(言うしかないですがww)
「ごめんね・・・」
と、ほぼ100%くらいの確率で返されていました。
ニュアンスは【そんな可哀そうなこと聞いてごめんね】的な。
いやいやいや。
我が家、めっちゃ明るいし、楽しいけど。
極論、両親が健在でも、DVなどで不幸せな家庭はあります。
我が家にはお父さんはいませんでしたが、私は「この家に生まれてよかった」と自信を持って言えます。
自慢の家族です。
母子家庭=可哀そう
これはナンセンス!!
◎精神科医からのアドバイス
私は、膠原病に加えて、そこから二次派生した精神疾患もあります。
元々、産業医関係で知り合った先生で、投薬しながら、減薬を目指した根本解決=カウンセリングをしてくれる先生です。
その先生にある時こう言いました。
「あの人は苦労していないから、理解できないと思います」
当時、会社の上長とうまくいかなくて、精神的にもしんどい時。
今考えると、なんて上から目線な言葉なんだと思いますが、周りが見えなくなると、自分が悲劇のヒロインになってしまうんですよね(-"-)
先生は優しく諭してくれました。
「人のことを勝手に決めつけないようにね。そうしていると、あなたも苦しくなるよ。他人のことは、わからないからさ」
あの人は○○だ
これは○○に違いない
こうした決めつけは、自分にも「こうあるべき」という足かせを嵌めることになります。
人は人
自分は自分
自他境界線をしっかり持つことが、今も私の課題です。
◎当事者だから言えること
まず、私は不幸ではありません。
むしろ、すごく恵まれていて幸せ者です。
確かに、指定難病の膠原病群を持っています
母子家庭がゆえの貧しさもありました
でも、一緒に過ごす家族がいて、安全に暮らせる家があって、毎月大学病院に通えて、仕事は緊張感もありますが、やりがいが大きい!
どんな億万長者でも、足りないものを探せばキリがありません。
私みたいな生計ギリギリの音楽家でも、持っているものを探すと、こちらもキリがないんです。
今あるモノ、コトに目を向ける
自分にコントロールできないことは手離す
人のためではなく、まずは自分のために
大切なものを日々見つけながら、これからも強く柔らかく生きていきたいな、と思う今日この頃です(*^^*)
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