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世界一ポジティブな母の話-1-


大人になって気づいた母の凄さ

子どもの目から見た母は、いつも楽しそうで、私は子供心に「子育てって楽しいんだな」と思っていました。
実際、母に聞いてみると「楽しかったよ。3人も育てられたし、皆個性的だったから刺激的な毎日だったわ~」とケタケタ笑ってました(笑)

そんな母の凄さなんて、ちょっとやそっとじゃ綴れないのですが、少しずつアウトプットしていこうと考え、シリーズ化してみようと思います。

恨み言なし、悲しくて泣いたこともない母

人間いつ死ぬかわからない、ということを教えてくれた父


ドタバタ母子家庭

父は私が物心つく前に亡くなりました。
私にとっては、気づけば父は仏壇の中にいて、所謂「お星さま」でした。

「父が亡くなった原因は病気ではない」

この事実は知っていましたが、詳細は知らされていませんでしたし、私自身知ろうと考えたことがありませんでした。
それは

我が家が超絶明るかったから!!

3人兄妹ですから、毎日が騒々しくて、けんかもするし、怒られるし、でも母がまるで太陽のような明るさを持っているから、楽しかったです。

ですから、「なんでお父さんいないの・・・」という悲しい気持ちになったことは一度もありません。
私にとっては父がいない、4人家族の我が家が当たり前で幸せでした。
今思えば、母はもちろんのこと、上の兄たちが可愛がってくれたからです。

みんな、本当にありがとう

父が亡くなった経緯を知ったのは15歳

父は刑事事件の被害者だった
犯人との因果関係はなく、父が狙われたわけではない
犯人に有罪判決は出ているが、賠償金等はない

この事実を知ったのは15歳の時
私が音楽の道に進むため、ひとりで東京に行く前です。

ショッキングでした。
いつも明るくて母性愛に満ち溢れている母が、こんな経緯で夫を亡くしていたなんて、これっぽっちも思っていなかったので。

それでも復讐心が芽生えなかったのは

私は「なぜ、今まで黙っていたのか」と聞きました。
怒りからではなく、素朴な疑問として。

「犯人に心縛られる人生にしてほしくなかった」

と、母は強い眼差しで答えてくれました。
分別や自分なりの価値観ががある程度つくまで、話さないと決めていたようです。
兄たちは父の記憶があるので、この事実を知っていましたが、兄たちも母の考えに賛同し、私をただひたすら可愛がってくれたんです。

「復讐心で生きる人生は、犯人の人生を追いかけることになる。仮に復習したとして、そのあと何も残らない。そんなみじめな人生は送らせたくなかった」

この決断に至るまでの母の苦悩は、私にはわかりません。
並大抵の気持ちでは成しえなかったと思います。

犯人を許す、許さない、という感情すら沸きませんでした。
どうでもいい
恨んでも、憎んでも、殺しに行っても、父は帰ってこない
すぐにそう考えることができたのは、母と兄たちのおかげです。

恨みごとを聞きながら育っていたら、私は表現者になっていなかったでしょう。暗闇で生きる、そんな地獄を味わったかもしれません。

愛にあふれる家庭でした

母が願うこと

子ども自身が「幸せ」と感じる人生を送ること

このために、母は父の死の真相をすぐに明かさなかった。
そして、そのおかげで私は「私だけの人生」を歩めています。

被害者遺族が減ること

事件が起こるたび、私たち家族は他人事には思えず、胸が痛くなります。
事件そのものが減り、被害者はもちろんのこと、被害者遺族が減ることを、母をはじめ、私たちは心から願っています。
人が我欲だけに走ることなく、もう少し優しい世界になってほしいと、私は考えています。

自分(母)も人生を楽しんでいる

今までの文章を見ると、母がひとり背負い込み、悲劇のヒロイン感がありますが(ないです?)、それは真反対です。
母はそもそも、子どもの犠牲になった覚えはなく、母が自ら選んで今の人生を送り、かつ物凄く楽しんでいます。
もう高齢者枠の母ですが、バーコード決済はお手の物、LINEのスタンプはバンバン使う、美容院予約はホットペッパービューティー・・・
時代を楽しんでいます(笑)

そこにはメッセージがあります
「自分の幸せは自分で決めるもの」

と、常々言ってくれていました。

子どもとして思うこと

感謝と尊敬しかない

悲劇的な人生になりかねなかった私を、明るい人生へと導いてくれた母。
母子家庭でも寂しいと感じたことがないのは、愛に満ち溢れていたから。
私が音楽家として生きているのは、こうした土台があったから。

この両親の末っ子として生まれてきて、本当に良かった

兄たちと恩返し大会

母は「気にするな」と言いますが、「母に笑っていてほしい」というのは兄妹3人の共通のミッションです(笑)
旅行に行ったり、美味しいものを食べに行ったり、ショッピングモールに買い物に行ったり・・・・母を連れまわす日々。

与えてくれた愛で自分の幸せを見つける

母のお陰で、影のない人生を送ってきたからには、「自分が思う幸せ」をとことん見つけていこうと思います。
そして、それは今実現しつつあります。

音楽家として生きていくこと

これは私の幸せであり、そんな私の姿をみて笑顔になる母が好きです


バイオリンは私の一部です

続きます

母の風変わりな子育て

他者にはない真っ直ぐさ

一番上のイラストにある「比べない」「お世辞を言わない」に関して、あと2記事ほど執筆する予定です。

生きづらい世の中だからこそ伝えたい

いうなれば、母は信念をもって私たちを育てました。
SNSが当たり前の時代、自分の信念を持つことすら難しくなってきました。
そんな時代だからこそ、母の生き方を伝えたいと考え、母とも話したうえでこの記事を書いています。

と、まじめな雰囲気ですが、我が家の毎日は「喜劇」でした。
コメディな要素が多いと思いますので、よろしければお付き合いください(*^^*)

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