「水の心」と「種火を消さない呼吸」の真ん中を見たら「感謝」がいた
料理するときの包丁、割といいやつ使ってて、切れ味悪くなってきたら自分で砥ぐみたいなことをもう20年以上やっているおかげで包丁砥ぎは特技のひとつになった
もともと、僕が小学校1年生の頃に祖父が「刃物の扱い」を教えてくれたのがきっかけなんだけど、その話はまた今度
ということで、時々実家に帰ったときに、特技を活かして母の使う包丁を砥いでいる
この前、作業中に母と話をしていて、おもしろい発想に出会った。
先日記事にしたあなたの原動力は何ですか?の「水の心」と、集中力を高める呼吸の「種火を消さない」
このふたつが同じものである、と。
各記事はこちら↓
自分の中では全く別の場面の話で考えてたので、え?なんでこれが同じなの?となった
水の心は長期的活動を自分がする時の在り方とか原動力の話で、種火の話は目の前のことに集中するためのトリガーとその持続の話だから
ただ、「持続」というキーワードが母の脳内でつながったようだ
人の着眼点っておもしろいな
種火を消さないというのはこの集中力を100から20に下げておいて、いざという時に100にあげられるように準備しておく、というのが根っこにあって、そのキーは呼吸法にあるということなんだけど
これって持続性という点ではせいぜい3~4時間くらいが限界で、100の状態は合計すると30分~1時間ないくらいの短時間の話
「人の集中力は50分が限界」みたいな説を聞いたことがあるけど、なるほど自分で検証してるな
これは日常生活という非常に長い時間軸からはちょっと外れてて、ボウリングとかバイオリンとか、日常の活動からは少し高度なアクティビティをしている時間軸の話で、目的としてはその時間内でのクオリティを上げるためのもの
やっぱり水の心とは少し違う・・・・
ただ、確かに「持続させる」という意味では共通している
では何が共通していると言えるのだろうか?
呼吸よりもさらに原点的な「思考」とか「感性」とかになるかもしれない
もっと言うと、歯を磨くとか食事をするとか、人間の日々の活動、「習慣」とも言える
日々の生活で「種火を消さない」活動が水の心につながっているのではないか?
それは自分にとっての「在り方」みたいなところにつながっているのではないか?
掘り下げると、自分の在り方の本質はどこにあるのだろうか・・・
在り方というとちょっと哲学的で難しくなって思考が固くなるから、もっとシンプルに考えてみた
自分が「心地よい」と感じる状態は?
見つかる言葉は「楽しい」、「正直」、「感謝」、の3つだった
バイオリンにしてもボウリングにしても、昔から自分で作った座右の銘みたいのがある
「楽しみながら上手くなり、上手くなるからまた楽しい」
つまり、楽しいと感じることやその時間というのが自分には大事なのだと
これがひとつ
楽しいと感じる時間は自分自身に正直である
告白というか懺悔というか、僕は時々嘘つきだ
自分自身に正直でないこともするし、自己保身のための言い訳をすることだってある
だいたいそんな時間は、楽しくないし気持ちが悪い
立場を逆にすると、嘘で裏切られた経験をしたときは、相手を恨んだこともある
権力とか明らかに相手の方が強い立場の時に陰湿な対応で落とされたこともある
だからそういうことすると感じられる人とは距離を置く
加えると、上記に属するようなことを自分自身がしたら、自分が嫌いになる
正直さ、その先にある誠実さが僕は好きだ。
正直者が馬鹿を見る、ではなく、正直者こを最強、だと思う。
ということで正直さって大事だな、というのがふたつ目
あとは、自分自身の活動や発言、行動によって副産物が生み出されて、誰かから感謝される、というのはめちゃくちゃ嬉しい
その範囲は広くなくてよい。半径数メートルの人の幸せの総量が増える、みたいなこと
中心にあるのが「感謝」
人の幸せってふたつのポイントがあると思っていて
ひとつが当たり前をそうと思わず感謝できる、感謝を見つける能力
もうひとつが言動一致、シンクロ率と幸福度が比例する、みたいな
祖母の話だけど、認知症が進んでいて、数分前のことは覚えていない状態。それでも本人に悲壮感みたいのはまったくなくて、「感謝、感謝でございます」が口癖と聞いた
医学の専門的なことはよく知らないけど、脳機能が衰えたからこそ、その人の本質が現れてくるらしい
なるほど、もしかしたら遺伝的に僕にも同じような本質がプログラムされているのかもしれない
「楽しい」も「正直さ」も、中心にあるのは「感謝」で、僕自身は誰かに感謝されたいという欲望を持っていて、感謝したいという欲求がある
これが3つ目
話が長くそれたけど、僕にとっての「水の心」で「種火を消さない」、持続性のあるものの答えは「感謝」にあるのではないか?と思った
生きていて自然体でどれだけ多くの感謝を見つけ、作り出せるか?ということが自分を活性化させるトリガーになる、という話