熱から心の偏りを理解する
ほぼ1週間熱が出て動けなかった。
ようやく今日の夜中に汗をたくさんかいて、平熱に戻った。
いやーーーーーー長かった。
でも今回のこの熱は、私にまたたくさんの気づきを与えてくれた。
そして私の生きる覚悟を問われているものだとも思った。
私がみえてないところを見えるようにするため。
見えているけどそれを直視させることが目的でもあったのだ。
私には、バランスが悪い箇所が多くある。
こうしようと決めたら、それをとことん達成しようと融通がきかなかったり、ストイックになりすぎて自分の自由を奪っていたりする。
自分が中心ではなく、自分以外の何かを基準としてそれに合わせるような生活をしている。
そこに気づかせて、すべてをひっくり返すんだと促されているような気がした。
こういうバランスの悪いことをやっているから、病気を創るというのもあると思っている。だって、バランスの悪さは、心の偏りだから。
病気は心がつくるから、心が偏っていれば病気が創られる。
それは当たり前のことなのだ。
この心の偏りをなくしていこうよ…減らしていこうよと、まだまだ偏りがありすぎる私の心に、熱を長期間長引かせ、思考停止状態をつくってくれながら、わたしの身体はメッセージを贈ってきてくれた。
いつまでそれやっているの?
いつまでそれを続けるつもり?と。
私の偏り。まず1つは、「こうしなければならない」に振り回されること。
今日はこのまず1つめのことを話していく。
今私は理由あって低収入状態で暮らしている。だから、少しでも節約せねばと、自分がしたいときではなく、自分の自由ではなく、洗濯も、ごはんを炊くのも、お湯を沸かすのも、朝8時までに終わらせなければならない。で動いている。
これは、深夜電力で安い時間に電気を使う家事を終わらせるため。
普通に考えると当たり前だろ!と思う人もいるだろうし、そんなの関係ないと思う人もいるんだろう。
私はこれをもう何年もやってきていたけど、プチストレスが積み重なり、今回こうして、もうそれやめていいよと言われた気がした。
もっと自由に。もっともっと自由に。
もっと自分の気持ちに正直に。もっともっと自分に優しく。
ストイックは私には合わない。
決めてその通りにずっと行動し続けることは、自分に合っていることじゃないと続かないのだ。
決めてその通りに行動し続けることができるということは、それが本当に心からやりたいと思うことだからなのだ。
それくらい、素直な欲望というのは、自分とイコール。
私はもっと自分の時間で動きたかった。
逆算して、この時間までにこうしなければと縛られるのではなく、もっと気分で動いてもいいんだよと自分に許可してあげられる柔軟性、しなやかさを手にいれる必要があった。
ひとつひとつを考えれば、大したことのない小さなこと。
そんなに負担だとも思わない。
でも、いつしかこの◯時までにこれを終わらせるが、ぐんぐん刷り込まれて、それが呪縛みたいになっていくのだ。
繊細な私の心には合わない。心のすみずみに、絡まるかのように呪縛が均等に行き渡り、それが本当の自分かのように蝕んでいく。
何でも受け入れようとする私の心の性質を利用して、相手を許容し、逆に自分をなくしていく。
それはやはりとてもキツイこと。
たぶん、自分が決めたことを守らない自分というものも許せないんだろう。
真面目なのだ。クソがつくほど。
でもこの真面目さが自分を苦しめていることは、もう随分昔から気がついている。
それでもどうしても直らない。そしてこうして、身動きがとれないほどの体調不良を味わうことで気付かされる。
病気にならないと気付けないのだ。
ずっと病気を繰り返すのは、私への愛。
病気にならないと、本当に自分に優しくする生き方を、私がしないから。
今回また病気で教えてもらった。
私はこうやって病気を利用して、自分への愛を学んでいる。病気に役割を与えて。
こうやって病気を使う私のような人がいる。
病気を通して気づくことは多くある。また次の機会に、続きの気づきを書いていこうと思っている。
病気は私の味方。だから私は病気に感謝している。