本当にやりたいことに向かう覚悟を熱に問われていた
前回は、熱から自分の心の偏りを理解したことを書きました。
この他にも熱から教えてもらったことがあるので、それを今日は書いていきます。
私にはもう何年も前から、どうしてもやりたいことがあります。
病気ばかり繰り返し、それでもこんな私でも何か誰かの役に立てることがあるんじゃないか、そう強く思う気持ち。
どうしても人の心に触れたい。
人の心に寄り添いたい。
純粋なその人の思いに触れていたいのです。
人の心の奥の奥の奥の部分にいったい何があるのか。
人の心の奥の部分、その人の核になる部分。その人そのものの部分が愛おしいという思いがずっとある。
その人の核になる部分を、私は自分の心でそのまま感じたいのです。
それをするために、そうなるための私に今本当に近づいています。
でも、本当にやりたいと思うことだからこそ怖いということが、今回の熱で明らかになりました。
もう少し頑張れば、もうあと少し頑張れば、私の夢が叶うかもしれないところまできているのに、目の前にきて、「怖れ」の気持ちと向き合うことになったのだと感じています。
この夢を叶えるためには、できるようになる必要があることが沢山あります。
まず、人を克服すること。
人の心の奥に触れたいのに、人が怖いとは致命的。でも、ここを超えないとこの夢を叶えることはできない。
私はこれまでの人生で、人が恐くて人と積極的には関わってこなかったため、人と関わる恐怖を超えなければならないんです。
今回の熱は、私の恐怖の気持ちに気づかせることに加え、その恐怖と向き合って逃げずに超えていく覚悟を私がするために、自分が創った病気だと思っています。
もう待ったはない。そういうところまで近づいているから、ギリギリのタイミングで一応あと少し時間稼ぎをしてくれつつ、最後の覚悟を私がもつための、私から私への再確認なのだと感じています。
もう逃げられない。
何度病気を繰り返しても、どんなことがあっても、絶対にあきらめないと歯を食いしばって生き抜いてきたのに、ここで怖気づいたら、私が心から見たい世界は見られない。
わたし自身に、いま想像する世界をみせてあげたいから。
だから、覚悟本当にありますか?
もう後戻りも後退りもできない。それでもやりますか??という、もうひとりの私からの問いなのだと理解しました。
数々の病気をつくってきた私だもの。
そんな簡単にはステップふんでポンポンポン!とは進まない。
複雑に作り込んだシナリオを創っているにちがいないんだ。
そんなことを理解して、熱が下がった今、本当にやりたいことに進む覚悟を決めました。
それともう一つ、熱があるとき、体調が悪い時、人は自信を失うことも理解しました。私にはまだ無理だからもっと先延ばしにしようとも考えました。でも、少し良くなると弱気な気持ちはやはりなくなりました。
人が体調不良のときに発する言葉は本気ではない。だから、その奥にあるその人の思いを信じてあげることや、少し回復するまで待ってあげる心の余裕も大切だと学びました。
発する言葉が必ずしもその人の心と一致しているわけではない。
私のように、言葉を発すること自体が苦手な人もいれば、なにか恐怖に怯えていて隠そうとする人もいる。
人の行動には理由がある。
そうせざるを得ない理由があるから。
その理由、本当のその人の思いに気づけるようになれたらと思います。