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無理になろうとするのではなく自然にできる状態になる

こんばんは!あおです!

前回の記事で、ありがとうと言われたい、「ありがとう」と本心で届けてもらえるような人になりたい、そんな人でありたいなどと書きました。

そのことについて考えていて、これは本心だけど、少し違うかな?少し自分に課しすぎることになるかな?付け加えたい部分もあるような気がしているので、そのあたり少し綴ってみようと思います!


⚫️ありがとうと言われたい理由

確かに、ありがとうを本心で届けてもらえるような人になりたい。
でもそれは、もしかしたら認めてほしいという承認欲求からもきているんじゃないか?と思いました。

なぜそう思うのかというと、

自分にはそのままで価値なんてないと自分で思っている。
ありがとうなんて言われる価値なんてないと思って生きてきていた。
そもそも、人にありがとうなんて言われる人生じゃなかった。

こういう部分が私にはあるからなのです。

だから、

人に「ありがとう」と言われることで、

自分の価値が上がった気持ちになる
認めてもらえた気持ちになる
ここに居ていいよと言われているような気持ちになって

安心してやっと堂々とできるのかもしれないなーと思ったんです。

そうです。私は自己否定の塊でした。
いつも、自分のダメなところを見つけては、自分を責めていました。
仕事でも遊びでも心の考え方でも、
自分を心の中でボッコボコ!!に殴っていたのです。

⚫️自己否定の結果起こること

誰かに認めてもらえたり、ありがとうと言ってもらえないと
ここに居ていい!と自分で思えていない状態は、結構苦しいです。

今は、こういった自分への否定が数々の病気をうんでしまったんだろうなと思うのです。
自分が自分を否定し続けるって、身体の細胞さんたちからしてみたら、相当過酷ですよね…。ごめんね細胞さんたち…。


⚫️苦しみから逃れるために

この苦しい状態から逃れたくて、私は「ありがとう」と言われたいというのもあるんじゃないかと思いました。
この苦しい状態を避けたくて、人に「ありがとう」と言われるために、また自分に課すことを過度にやろうとしてるんじゃないかと思ったんです。

これじゃあ本末転倒ですよね!
また負のループが始まるよ。

⚫️どうしたらいいの?

じゃあどうすればいいんだろう?と考えてみて思ったのは

ありがとうと言われる人間になろうとするのではなく、

自然体でいて、ありがとうと言われるような人間になればいいんだと思いました。(ややこしい)
誰かに「ありがとう」と言われるから自分がここに居ていいと思えるなんて、自分が可哀想です。
誰かに「ありがとう」と言われるから自分に自信がもてるのは、やはり自分が可哀想です。そんなのは本当の自信じゃないですよね。
誰かのありがとうなしでは、心地よく生きられないですもん!


人から認めてなんてもらえなくても、自分ですでに認めて、ここに居ていいよと言ってあげられているうえで、その心の状態でいる自然体な自分で「ありがとう」と言ってもらえる自分になれればいいんだと思います。

⚫️必要なこと

それにはやはり自然に人を思いやれる心が必要で、
人を思いやるには自分の心の余裕が必要で、
心の余裕をもつには、自分にめいいっぱいの愛を注いであげることがめちゃくちゃ大事。

自分に心地よい生活をさせること
どんな自分もわかってあげて、受け止め受け入れ、愛し、ゆるし、信じてあげる

気づきがおこれば修正し、
悪いことをしたなと思えば素直に謝り、ありがたいと思えば素直に心のまま喜び感動し感謝を伝える

ただ純粋な自分のまま、心のまま素直な自分を表現していく

ただ純粋な素直な自分を怖がらずに出していくだけ。。なのかもしれない

一気にすべては難しいかもしれません
でも、ひとつひとつ少しずつ自分の本当の気持ちに自分を寄せていくことができたなら、
きっともっともっと自分を好きになれて
心に余裕がうまれ、思いやりの心を育てることができる

そんなふうに思うのです。

そうしたら、自然に人を思い自分にできることをすることで
自然に「ありがとう」と言われるような人になれるんだろう。

自然な笑顔で人を想い、自然な笑顔で「ありがとう💕」を言い合える
人間関係がうまれていくんだと思います。

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