Kimi Kayano/萱野公裕

アイヌ/スタンダップコメディアン/経営者 1988年平取町二風谷(びらとりちょうにぶた…

Kimi Kayano/萱野公裕

アイヌ/スタンダップコメディアン/経営者 1988年平取町二風谷(びらとりちょうにぶたに)生まれ スタンダップコメディアン(2024/8〜) ゲストハウス二風谷ヤント オーナー(2018/4〜) (株)二風谷ワークス 代表(2021/3〜)

最近の記事

押し付けられるアイヌらしさ

以下の記事は自分のブログに2017年12月8日に書いた記事です。 自分が書いた記事の中では一番人気があったものです。 再編集せず公開時のままにしてあります。ぜひ読んでみてください。 イランカラプテ!キミです! 今日2017年12月8日は平取アイヌ協会青年部にきた依頼で2020年に白老で開設される象徴空間、国立アイヌ民族博物館のPR動画撮影に協力しました。もちろん無報酬。。 押し付けられるアイヌらしさ 動画は胸から上のショットで民族衣装を着て行いました。冬という事もあ

    • 感覚は人それぞれ

      今日自宅のキッチンにあるスプレー式のハイターに「塩素臭が気にならない」と書いてあるのが目に入った。 その言い回しが僕には気になる。 塩素臭が気になるか気にならないかは個人の感覚なはずで、あなた(メーカー)の価値観を押し付けてくるなよって思ったからだ。 ある事象に対してどう感じるか、どう思うか、は完全に個人に委ねられるはずだと信じている。 同じ映画を見ても、同じ音楽を聴いても、同じお笑いを見ても、感じ方は個々人の主観であるべきだ。 似たような事で、セブンイレブンのレジ横にあるコ

      • 経営者として思う事

        僕は自分のビジネスを持ってから7年目(7期目)になる。 正直本当に大した経営者ではないし、「我こそは経営者でござい」と言う気もさらさらないんだけど、それでも雇われて給料を貰うのとは違う経験を積み重ねてきているとも思う。 だからこの経験を伝えられる若い人が来てくれないかなって最近思っている。 僕は自分のゲストハウスを開業する前に旭川のゲストハウスに住み込みで働いていた。 そこはもう廃業してしまったんだけど、オーナー夫婦にはとてもお世話になって、本当に感謝している。 ゲストハウ

        • シドニーのホステルでヒーローになった日

          僕は2018年から地元北海道の田舎町、平取町二風谷でゲストハウスをはじめた。 苫小牧高専を卒業して上京したのが2009年。機械設計士としてサラリーマンをしていたんだけど、アイヌとして、他の人にはできない人生を送りたいと思って仕事を辞めたのが2013年。 2014年から2015年は英語を習得するために海外で生活していた。本当は世界一周するつもりだったんだけど、結果としては失敗した。 2015年の6月か7月頃、僕はシドニーのホステルにいた。 2014年のクリスマス頃からメルボ

        押し付けられるアイヌらしさ

          スタンダップコメディアンになった理由

          36歳の夏、急にスタンダップコメディアンになった。 これには明確なきっかけがある。 ウーマンラッシュアワーの村本さんが主演するアイアム・ア・コメディアンという映画を観たからだ。 著名人相手に「さん」付けはなんとも気持ちが悪いんだけど、実は既に面識があって、ライブにも誘ってもらって、とても気にかけてくれているからもう呼び捨てにはできない。 まだ映画を観ていない人はどうにかしてまずは観て欲しい。 僕はアイヌとして日本に生まれ育ち、常にマイノリティとして心の葛藤を抱えてきた。たと

          スタンダップコメディアンになった理由