押し付けられるアイヌらしさ
以下の記事は自分のブログに2017年12月8日に書いた記事です。
自分が書いた記事の中では一番人気があったものです。
再編集せず公開時のままにしてあります。ぜひ読んでみてください。
イランカラプテ!キミです!
今日2017年12月8日は平取アイヌ協会青年部にきた依頼で2020年に白老で開設される象徴空間、国立アイヌ民族博物館のPR動画撮影に協力しました。もちろん無報酬。。
押し付けられるアイヌらしさ
動画は胸から上のショットで民族衣装を着て行いました。冬という事もあり寒かったので薄い綿のタートルネックを民族衣装の中に着ていたのですが、見えるのが気になるので隠しますと言われました。なぜ中から綿の服が見えたらいけないんでしょうか?撮影班は和人ですが、アイヌっぽくないとか、タートルネックは民族衣装ではないと思ったからでしょう。
でもそれは和人から押し付けられるものでもないし、和人に判断されることでもないと僕は思います。アイヌの撮影をしたいとなって、民族衣装を指定されることにも違和感を覚えます。こちらが着たいのであれば着るべきだし、着たくないなら着ない事だって本来であればアイヌの側が判断する事ではないでしょうか?
PR動画という形でアイヌを宣伝するのは構いませんが、和人のイメージするアイヌらしさを押し付けられることには納得できませんでした。出来上がったこの映像を見た人が、アイヌはいつでも民族衣装を着ているとか、冬でも薄いペラペラの民族衣装で生活していると思われることはアイヌにとってマイナスでしかないと思います。
それこそ150年前なら民族衣装の中には鹿革の服も着ていたでしょう。僕の祖父は白いYシャツに下はスラックスで民族衣装を着ていました。アイヌの彫刻家、藤戸竹喜さんの作品には上下三つ揃いのスーツにアイヌの脚絆をしている等身大のアイヌの彫刻があります。それはモデルになった人(僕の曽祖父ぐらいの年代の人だと思います。)が実際にそのような格好をしていたからでしょう。
北海道が日本に取り込まれて以降アイヌの生活は日々変化しています。もちろん日本全体でも150年前とは違った形になっています。「外国から来た撮影班が日本人の撮影をしたい。」と言ってきて、アメカジとかスーツで応じたら、「それは日本人の服じゃないから着物を着てください。」って言われたらどう思いますか?何言ってんだこの人?と思いませんか?
この他文化から押し付けられるイメージに嫌な思いをしているアイヌはたくさんいると思います。アイヌはこんな顔をしているから(勝手なイメージ)、「あなたはアイヌっぽくないですね。/あなたはアイヌらしいですね。」とか、伝統家屋を見て「今でもこんな家に住んでいるんですか?」とか、「(伝統的な生活をしていないから)アイヌはもういない。」とかうんざりです。
少し話は変わりますが、この前新聞記者の人が取材させてほしいと来た時に「札幌であったマオリとアイヌの交流事業(交流事業だったかは不確かです)でマオリの人が踊りを披露したのですが、普段着(スーツなど)でどうなんだろうと思いました。」といった事をおっしゃいました。僕は「着ているものが何だったとしてもマオリである事には変わりない。」というような事を言いました。
新聞記者であってもその程度の認識です。なんで踊り(伝統舞踊)をするときの衣装についてまで文句を言われなきゃいけないんですか?盆踊りをするときには絶対に浴衣じゃなきゃダメなんですか?
本質はその人たちが所属する集団や社会であって、形だけにこだわるべきではありません。
なんだかすごく怒っているような文章になってしまいましたが、慣れている事なのでそれほど怒ってはいません。