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『天龍八部』~昼ドラかと思ったら『源氏物語』みたいな話だった~

 『天龍八部』のドラマを見終わりました。私が観たのは、2021年版の『天龍八部~レジェンド・オブ・デスティニー~』です。

あらすじ

学問を好み、争いを嫌う平和主義者の雲南大理の王子・段誉(だんよ)、江湖最大の勢力である丐幇の幇主、喬(蕭)峯、少林寺の孤児として育ち、立派な僧侶になることを目指している虚竹、燕国復興の期待を背負い、燕国復興のためならどんなことでもする慕容復(ぼようふく)、この四人を中心に物語は進んでいきます。

最初は昼ドラでしかない

 夫の勧めで見始めたドラマでしたが、はじめは「これでもか」というくらいの昼ドラ展開しかありません。主人公の一人である段誉の父親が『源氏物語』の光源氏並みにあっちこっちに女を作っていて、その女たちと子どもが次から次へと登場します。光源氏ほどではないにしろ、「この人も、あの人も元恋人だったのか!」という展開ばかりです。お陰で段誉が好きになった人が、実は母親違いの兄妹だった、という事態が次々におきます。段誉も父親に似たのか、モテるんですよね。(俳優さんも確かにジャニーズ系の顔立ちでした)

 ただし、『源氏物語』と違うのは、愛された女たちが武闘派だったり、ずる賢かったりする点です。『源氏物語』に登場するお姫様たちは、性格にそれぞれ違いはあるし、見た目も様々ですけれども基本的にはみんな和歌を詠んでおしとやかに過ごします(裏ではいろいろある人もいますけど)。そういう点が違うのが、やはり中国らしいといえばそうかもしれません。(それとも、金庸の話に登場する女性がそうなのか?)

 話はもどりますが、そんな昼ドラの話が20話くらい続くので、もう作者の金庸の趣味なんじゃないかと思ったくらいです。あまりにも昼ドラの話が長いので、ここで観るのをやめようかと思いましたが、何とか踏みとどまりました。

『源氏物語』との共通点

 中心人物の段誉、喬(蕭)峯、虚竹、慕容復は四人とも自分達が望んだ人生を送ることができません。視聴者からすると、羨ましく思う展開や、逆に不幸と思われる結末を迎える人もいますが、果たしてそれは彼らにとって本当に幸福なのか、あるいは不幸なことなのか、判断するのはとても難しいです。

 この四人は自分が望んだ生活を送ることに固執していました。最後は、自分の運命を受け入れる人もいれば、受け入れられずに悲惨な展開になる人もいました。しかし、こういうことって、人間なら誰しもあることではないかなあと思います。私も過去に固執してしまうことがありますから、わかります。
 
 仏教用語で「諦念」というのがあります。無常感とでもいうのでしょうか、最後はこの「無常感」を感じさせる展開でした。この話は至るところで仏教が絡んできており、登場人物たちが仏教的な考えを悟る場面も多々あります。作者の金庸が、かなり仏教に造詣が深いようですね。だからでしょうか。

 この仏教が絡んでくる辺り、『源氏物語』との共通点が感じられます。『源氏物語』も、人生の悲しみや悩みを仏教で癒すような考えがあったはず(光源氏がいろんな女性と関係をもったことによって、様々な男女の苦悩が生まれ、仏教に救いを求めていた気がする)。

 『源氏物語』は宮中だけの話だったのに対し、『天龍八部』は国を越えて、民族を越えて、いろいろな人の執着や男女の情のもつれを描いているので、スケールが大きいかもしれません。

とにかく主人公たちの親が問題
 
 

 主人公たちの親が問題を抱えていて、子どもたちがその親がやってしまったことに巻き込まれている感じでした。
 はっきり言って、迷惑な親なのですが、「これも運命か」と考えると、観ている側としてはなかなか深いなあと思いました。

 まとめ


 みんな自分が思うような人生にはならないけれど、それでもちゃんと受け止めて、前へ進んでいくという最後の展開が私としてはとてもよかったと思います。見終わったあと、じわじわと「いいなあ」と思える作品でした。
 オープニングやエンディングの歌もドラマに合っていて、私は好きです。

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