部活やサークルで上手くやらないといけないという思い込み
学生時代、部活やサークルに入ってそこで上手くやらないといけないと思い込んでいました。なんなら、恋人もそこで作らないといけないとまで考えたこともあります。
もちろん、そういうのも大切なのですが、今考えると私はかなり固執していたように思います。
学生時代は、勉強がメインです。
さらに、学校外に目を向ければ地域でできる習い事もたくさんあるし、ボランティアもあります。学生向けの短期留学なんかもあるそうです。部活やサークル以外にも自己表現できたり、友達と楽しめる場所はたくさんあると思います。
ところが、学校にいると部活やサークルに入る、というのがメインとして宣伝されがちです。しかし、本当はもっといろいろなところに自分の居場所はあるのだということを学生たちに提供してもいいのではないのかと思います。
私は学生時代、かなり合唱に力を入れてやっていました。それは悪いことではなかったと思いますが、力を入れていた分、どうしても見返りを求めてしまいます。例えば、そこで親友や恋人を作らなければとか、表彰を受けたり報奨をもらわなければ、とか。
ここは、何かに熱中している時の盲点かもしれません。
ところが、私が経験した合唱では自分が求めた見返りは全く返ってきませんでした。むしろ、人間関係で悩んだり、これだけ努力しているのに何の報奨もないというストレスばかりがたまっていきました。しかし、「いつか報われるはず」という謎の希望を胸に、いつまでもしがみついて活動を続けていました。
それが、コロナになって、突然ぷっつりと縁が切れました。良くも悪くも、コロナは私と合唱の縁(というか執着)を切るきっかけになりました。
夫とは合唱と縁を切った、そんなコロナ禍で出会ったので、もしコロナがなければ私は今でも独身だったかもしれません。中国語を勉強していなければ、漢検も勉強していなかったかもしれません。さらには、中国ドラマにも出会っていなかったかも…。
そういった意味でも、私たち夫婦は「塞翁が馬」という言葉を大切にしています。
「塞翁が馬」は「人の幸不幸は予測できないものだ」という意味なのは有名です。合唱をやめて、その関係者とも一切関係を切ってしまったことは不幸だったかもしれませんが、一つの縁を切ると別の縁がやってくるとこれほど感じたことはありません。
もし今何かのグループに所属していたり、何かやっていることがあるなかで、悩んでいることがあるなら、思いきって辞めてしまうという選択もありだと思います。
それを辞めると、全て終わりにはなりません。そこで使っていた時間がなくなると、自分とゆっくり向き合う時間になったり、他のことに充てる時間になったりします。私は合唱を辞めたことで、かなりの時間と労力をそこに費やしていたことに気づきました。
「中途半端に終わってしまう自分はダメだ」なんてことにはならないと思います。
何かを手に入れたければ、何かを手放すのも大切だと思います。