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『琅琊榜』感想

 ついに話題の『琅琊榜』を見終わりました。(もちろん、私が見ていたのはシーズン1の方です。)

 最後まで物悲しさは残りました。けれど、みんなの努力の甲斐があって、登場人物たちは最後、前を向いて未来へ進めていっている感じがしたので私も満たされた気持ちで観終えることができました。

 ただ、どうしても気になることが。
 これは中国ドラマあるあるなのか、話の最後だけ突然ブツッと終わるんですよね。余韻をもたせるような終わり方って、あんまりしないんでしょうか。『琅琊榜』に限った話ではないのですが、いつもそこだけ気になる…。

 さて、それは置いておいて感想をまとめます。


あらすじ

南北朝時代を模した架空の国・梁。都では皇太子と第5皇子・誉王(よおう)との後継者争いが激しさを増していた。そんななか、2人は情報組織「琅琊閣」から“麒麟の才子を得た者が天下を得る”という情報を手に入れる。その麒麟の才子とは、江左盟の宗主・梅長蘇のことだった。両者は早速、梅長蘇(ばいちょうそ)の獲得に乗り出すが、梅長蘇は蘇哲(そてつ)と名を変え、都に潜入していた。梅長蘇は実は、12年前に謀反の罪で壊滅させられた赤焔軍の生き残り、林殊(りんしゅ)だった。猛毒に侵され以前とは違う容貌となった林殊は、軍を罠に嵌めた者たちへの復讐を果たそうと都に舞い戻ったのだ。

『琅琊榜』公式サイトより


まず、相関図を片手に観るべし

 以前、別の記事でも書きましたが、とにかく人間関係が複雑なので、公式サイトの相関図を見ながらドラマを観た方がわかりやすいと思います。登場人物も多いし、誰が誰の子どもで、誰と誰はどんな関係なのか、どこの派閥に属しているのか、今は敵なのか味方なのか、確実に混乱します。それから、中国時代劇ドラマあるあるですが、身分を表す名前と本名(たまに幼名とか出てくる)の両方で呼ばれることが多いので、「あれ、この名前は誰だっけ?」「この名前とあの名前は同じ人を指している」など、ということが起こります。

 私は人間関係図は表を見なくても把握できる方だったのですが、このドラマだけはどうしても無理でした。

 一番の理由は、「AはB家とC家の子どもだったけど、実はB家のお母さんとDという男との間に生まれた子だった」という、紫式部が思い付きそうな展開があったからだと思います。もうワケわかんない。公式サイトの相関図にも収まりきれない人間関係。やむを得ず、中国のサイトの詳しい相関図を夫に探してもらって観ていました。ドラマも2回くらい繰り返し観ないとわからないところがありました。

 とはいえ、日本の公式サイトの相関図は詳しくはないけれど、分かりやすくスッキリまとまっているので、十分だと思います。

人を説得したいときは梅長蘇の言い回しを真似てみよう

『宮廷の諍い女』でも思ったことですが、中国時代劇ドラマは、目上の人に対するものの言い方がとても勉強になります。特に、人を説得するときや、追い詰められたとき、どんな言い回しをすれば相手が納得してくれるのか、逃れられるのか。毎回「なるほど」と思わされます。学校の先生は、生徒指導や保護者対応にも使えると思うので、全教職員必須科目だと言いたいです。私は、初任の頃にこのドラマに出会いたかったです!

キャラクターがみんな魅力的

 味方から敵に至るまで、みんな魅力的なキャラクターばかりです。
 主人公が頭よすぎなので、単純思考の蒙大統領なんかがいると、視聴者としてはわからないところをここぞというときに言ってくれるので、非常に助かる存在です。それから、蕭景睿や言豫津といった友人、それから護衛の飛流が、全体的に深刻な雰囲気の中で息抜き的な存在になってくれています。

 あと、以前も記事にしましたが、私が一番共感できたのはみんなに利用されまくった誉王です(以前記事に書いたので、もう詳しくは書きません。)。悪役にも共感できるポイントがある物語は、深みがあって面白いです。『鬼滅の刃』みたいに。

 梅長蘇は梅長蘇で、20話辺りから病状が悪化し、死にそうなので見ているこっちははらはらしました。「この人、あと20話もつんだろうか」と本気で心配になりました。
 しかし、どこまでも冷静で絶対に正体をばれないように振る舞う様子は見事です。靖王からの信頼を取り戻そうと、雪の中で靖王を説得するシーンは目が離せません。私だったら、ここで「自分は本当は林殊なんだ。だから、信じて!」と言っちゃいそう。

 穆霓凰との恋愛関係は、最後まで望むような形で結ばれないので、切なくなります。しかし、なんでもかんでもハッピーエンドになるより、お互い思い合っていても、こういうこともあるんだと思うと、これはこれで味わい深いと思います。穆霓凰の俳優さん、『司馬懿』の張春華役として出ていたこともあるので、我が家では常に「張春華」と呼んでいました。

このドラマを日本のドラマに置き換えると…

 何かのレビューで、「中国版 半沢直樹」と書いてあるのを見ました。しかし、私は半沢直樹を観たことがないので、なんとも言えません。「男性版 宮廷の諍い女」ともありました。こちらの方が、まだわかります。

 個人的には、藤沢修平の『蝉しぐれ』のスケールをもっと大きくしたドラマという印象を受けました。どちらも濡れ衣を着せられた主君の汚名を返上するための復讐劇ですし、思うように実らないラブストーリーもあります。そう考えると、「忠臣蔵」にも似ているかもしれません。


実話の歴史物語と違うところ

 『司馬懿』や『宮廷の諍い女』など、史実をもとにしたドラマを観たあとなので、余計に思いますが、やはり創作物語なので、基本的には勧善懲悪です。それが良くもあり、「まあ、こんなもんか」と思ってしまうところもあり、といった感じがしました。架空の話なので、現実的に考えたら靖王のような真っ直ぐすぎる王様は上手く皇帝になれるはずないし、奸臣たちが綺麗さっぱり一掃されることなんて、あるんだろうかと考えてしまいますが、まあお話なので!

「行きて帰し物語」のファンタジー要素の強いヒーローの魅力

 戦場で傷を負い、毒に侵されて、まさに地獄の底から蘇ったといっても過言ではない梅長蘇。視聴者としては、最後は靖王や穆霓凰の側で穏やかな余生を送って欲しい!と思うところですが、最後は「行きて帰りし物語」のパターンをうまく取り入れてたと思います。このあたりは、文学部出身かつ国語科教員として分析してしまうところですが、やはり文学的に王道とされるやり方で物語を締めると、深みが出ますし、不思議な余韻と納得感が出るので良いですね。
 さらに、このやり方で物語を締めると、梅長蘇は本当に戦場から蘇った亡霊だったのかもしれない、と思います。この全54話はもしかしたら、「こうなったらいいな」という誰かの願いを形にしただけなのかもしれない。もしかしたら、梅長蘇は幻想だったのかもしれないとも解釈できそうです。そもそも、ほとんど歴史的にはあり得ることばかりのこのお話の世界で、「火寒の毒」だけがファンタジー性が強いですから。そう考えると、梅長蘇はとってもファンタジー的な要素が強いヒーロだと思います。


 第二段も評判が良いので、観てみたいと思います。

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