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今日のおすすめ/庄野潤三『庭の山の木』

今日のおすすめは、古本コーナーから、庄野潤三『庭の山の木』です。

こちらは、作家庄野潤三さんの随筆集になります。載っている随筆の数はなんと70作品!家族の話やアメリカで生活していた時の話、書評、映画批評、読書指南もあり、なんとも読み応えあります。そして、ページをめくるたび、古本のなんとも言えない香り…時代を感じながら読書ができます。

こちらの本の中に、「庭の鉄棒」という、お庭の鉄棒にぶら下がった写真が撮りたいという雑誌社の依頼にお応えするお話があります。
写真家さんがやってきて、丁度小学生の娘さんと幼稚園の息子も帰ってきて見物しにきて、庄野さんは鉄棒にぶら下がるのですが、段々スタミナが落ちてきて不安になっているのに、熱心な写真家さんのおかげで、「最後にもう一度だけ」と言われながら、10枚も撮られたそうです。

いいものを撮りたい写真家さんの気持ちも分かりつつ、鉄棒にぶら下がって何度も身体を振らないといけない庄野潤三さんの辛さもヒシヒシと感じました。
どんな写真になったのかなあ〜と思っていたら、なんと!夏葉社さんから出ている『庄野潤三の本 山の上の家』に、鉄棒ぶら下がり潤三の写真が載っているではありませんか!!
お子さんである夏子さんと龍也が傍らで見守っていて、35歳の潤三さんは飄々としたお顔でぶら下がってました。
この飄々とした顔の裏で、ほんとは力尽きて倒れそうになってたんだなあ…と、潤三お父さんのがんばりが見えたのでした。なんだか笑ってしまいます。
写真を見て、またお話を読むと、また庄野家の世界が膨らんで、より楽しく読めるのでした。

そういえば、江國香織『読んでばっか』にて、庄野潤三さんについてこう書いていました。

「庄野さんは、徹底して言葉本来の意味で言葉を使う。曖昧なイメージや感傷を、言葉に絶対担わせない。それが快感なのだ。
なんでもないことが、庄野さんの文章によって突然可笑しくなる。私はしょっちゅう笑ってしまう。可笑しい、可笑しい、と、言いながら読む。」(p218)

なるほど、確かに。取材で鉄棒ぶら下がってるだけのお話でも、なんだか笑ってしまったのは、庄野文学ならではなのかあ。

「その小説なり随筆は、いわば真面目に書いたもので(真面目でなしにいったい何が書けるだろう)、誰かを笑わせようという考えは、こちらに無い。
健康な笑いというのは、文学において尊重されるべきものだと思うが、それはどこまでも自然でなくてはいけない。自然にしか生れないものだろう。
笑わせようとしても、本当におかしくなければ誰も笑うものではない。無理強いは出来ない。
そうして、笑いの中にも、質のいい笑いとそうでないものとがある。
人が笑っているのを見て、おかしくなる時もあれば、反対に索漠とした気持になる時もある。何らかの意味でそれが人生の機微にふれたものでなくてはいけないだろうし、言葉の選択という点できびしさが無くてはいけないだろう。何よりも新鮮でなくてはいけないだろう。
いいかたを変えれば、物真似でない、その人だけしか持っていないものでなくては、つまらないだろう。」 
庄野潤三『庭の山の木』より「子供の本と私」p233より

江國香織さん、やはり的を得ています!
これが庄野文学の真髄なのだろうと思いました。
それではこれから、庄野潤三さんの本をたくさん読んで、たくさん笑うとします。

(いわい)

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