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人との会話が減った事によって。
きっかけは、コロナになった事によって、家にいることも多くなり、人との会話が減ったことで一人時間が増えたことから。
基本、一人時間は嫌いじゃない。・・と思っていたけれど、それは普段、人とお話する機会があったから。
色んなことが、いつの間にか”矛盾を当たり前”にしていたことに改めて気づく。
例えば「ありがとう」という言葉がある。感謝の敬を表すことば。
「ありがとう」という言葉は、日常から頻繁に耳にする言葉だけど、仕事では特に「ありがとう」と伝える意味を大事にしていた側で、嘘と本当が気になっていたくらい。
それなのにどうだろう。コンビニやスーパーで、買い物をするとき、顔なじみ(特にコンビニ)の方とは、挨拶を交わすけれど、そこまで親しくないと、「ありがとう」は、流れ作業になっているようにも思う。
聞きようによっては、寂しい言い方に聞こえるかもしれないけれど、スーパーに行けば人がいる。そして、レジでは会話をする。
一人時間が長いと、それだけでもなんだか嬉しい気持ちにさえなる事だってある。
それから・・。スーパーだけでなく、お店や接客して頂いた際に、流れで言っていた姿勢を改め、目を見て「ありがとう」と・・つまり丁寧に伝える事を心がけるようにした。
するとどうだろう。
笑顔で返してくれたり、振り返りもう一度言ってくれたり・・。
そんな光景がみられるようになった。
ちょっとした日常のお買い物だけど、それだけで毎日の気分は随分と変わる。やっぱり気持ちを伝える言葉は、敬を持って伝えると、届いた時の喜びは、倍にして返ってくるものだなと。
でもどうなのかな・・。スーパーが混んでいたら、レジの方は、そんな行為を面倒くさいと思われてしまうのだろうか・・。そんなに時間を取るわけではないので、「ありがとう」をちゃんと伝える事に、嫌な気持ちにはならならだろうと・・思いたいが。
でもほんの些細な事だけど、救われる気持ちになる事がある。勿論、自分から進んでいかないといけないことはあるけれど、これだったらそんな大きな勇気でもないので、行動に起こしやすい。
今日も笑顔を返してくれてありがとう。