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お線香の代わりに

僕は好きで料理をするのだが、料理をしているとき「素材に味がついているのにどうして味付けで塩味をつけるのだろう」と思うことがある。

料理人でも専門家でもないので正解はわからないが、僕なりには

素材の味とは別軸で、「塩味」をつくることで「素材の味」の輪郭をはっきりさせる。

ことなのかなと。つまり、

はっきりさせるための対比をつくる。

そして塩が、人間の体内にあることからも対比として一番自然なものだからなのではと。塩味を足してるのではない。

これは結構何にでもあてはまることで、大袈裟にいえば「生」と「死」もそう。不老不死だったら生きることがボヤっとしてしまう。死があるからこそいま、生きてる~という実感が湧いてくる。

当たり前すぎてなかなか実感が湧かない「自分はいま、生きてるんだ」というこの感覚。自分を見つめ直す機会として、たまには掘り起こしてもいいんじゃないかと思う。

そして掘り起こすきっかけとなるのが、前述どおり「死」について考えること。ただこれも程度問題で、料理に塩を振りすぎても台無しになるように、毎日毎日「死」を考えていたら病むし、逆に生きる気力がなくなる。だから僕は1年に1回くらい。ほんでその年に1回が、今日12月8日。

今日は何の日


12月8日。なぜ今日、死について考えるのかというと、

僕の青春そのものだったスーパースター ジョン・レノン の命日だから。
3年前までは。3年前まではジョンの命日だから意識していた。
でも今は、
おじいちゃんの命日だから。
12月8日は大好きなおじいちゃんの命日。

思い返すとおじいちゃんは80歳を超えてからもカメラを初めたり、パソコンを使いこなし動画編集をしたり、僕とテレビゲームで将棋をしたり(もちろん勝てない)。当時は、やっぱり多趣味だな~くらいしか思っていなかったが、いま冷静に考えると凄すぎる。
おじいちゃんはただ身体の期限を全うしただけで、衰退した訳ではない。

話はそれるが、よく産業?のライフサイクルで、
「導入期」⇒「成長期」⇒「成熟期」⇒「衰退期」
なんてのを見かける。
「ライフサイクルってのはこうなってるんですよ!」とドヤっと突きつけられると、当たり前のように成熟の後には衰退がやって来ると思ってしまう。
IT、ネット広告みたいな成長は本当に素晴らしいことだけど、成熟したものを成熟させたまま維持することも同じくらい価値があると思う。

日本が世界に負けないためには、強い分野である成熟産業を衰退させないことがめちゃ重要なんじゃないかと。素人目からなので見当違いかもしれなが、日本がGAFAやら、イスラエルとかのIT先進に勝てる気がしない。(というのも、自分はまさに成熟産業の中にいるので、こうでも思わないと奮わない。)

話を戻すと、おじいちゃんは成熟したままだったが、儚いことに紛れもなくもうこの世にはいない。

「いくつもの選択肢と可能性に囲まれ 探してた 望んでた ものがぼやけていく 何かが生まれ また何かが死んでいくんだ そうきっと そこからは逃げられやしないだろう 」

Starting Over (Mr.Children)

ジョンのシングルにも同じタイトルがある曲から引用。
僕らはオギャーと生まれてから、ただただ死に向かっていく。生きていると、どの学校に行こう、何の仕事をしよう、誰と一緒になろう。何を食べようなどの細かいことも含めると、その選択肢の多さから絶対的ゴールである死の瞬間、どうなってたいかがボヤけまくる。

おじいちゃんは最期家族へ、名鉄の運転士一筋、鉄道の思い出を話したり、頑固過ぎたことを詫び、感謝を伝えてたらしい。多少迷惑を掛けても自分の役割を果たし、最後は素直に感情を伝える。いろんなものを残してくれたが、最期に1つのかっちょいい生き様を孫に教えてくれました。

お線香の代わりに

おじいちゃんが教えてくれたもののひとつが、今では僕の大師匠である「コーヒー」。
当時はよくわからなかったが、高校の時クラシックなミルをもらい家に置いてありました。
大学生になり、おじいちゃんの影響もありカフェでバイトをしはじめ、そこからどっぷり。おじいちゃんは大師匠との出会いのきっかけを作ってくれました。

聞くところによると、故人にお線香をあげるのは、立ち上る煙の香りを食べ物飲み物として、天国に届ける意味があるらしい。残念ながら今日お線香をあげることはできないが、僕にはおじいちゃんがお線香よりも好きな香りを届ける方法がある。

名古屋大空襲を逃げ切り、激動の昭和を生き延び、命を繋いでくれてありがとう。そんな気持ちを立ち上る湯気に込めて、コーヒー淹れる。

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