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茨の道だろうが凍てつく夜だろうが

たとえば12時に福岡の博多駅で待合せをしたとする。

仮に東京から向かうとして時間を逆算してみよう。

確実に遅れてはならないとすれば、11時には福岡空港には着いていたい。

11時に福岡空港に着くには9時の飛行機に乗らないといけない。

9時の飛行機に乗るためには搭乗手続き等の時間を加味すると8時には羽田空港に着いていないといけない。

8時に羽田空港に着くためには6時半前後の空港バスに乗らないといけない。

6時半前後の空港バスに乗るためには、家を6時には出ないとならない。

まったくおかしな話じゃないか。

12時に待合せなのに家を出るのはその6時間も前の朝6時。

支度の時間も考えるなら起きるのは5時だ。

実に7時間があっという間に溶けていく。

こんなにも日本は広かっただろうか。


『オープンマイクにMCリトルとマミーDとヒルクライムが出てるよ』

と川崎が言うので、しばらくYouTubeを観た後、別のオープンマイクチャンネルを観るとSEAMOがnobodyknows+と一緒にルパンザファイアーを歌っていた。


実に18年ぶりにルパンザファイアーを聴いた。


18年前といえば旧友の木下と自主映画を撮っていて、それこそ若かったこともあり徹夜で編集室にこもり作品を仕上げていたわけだが、その時常に聴いていたのがルパンザファイアーだった。


自分なりに真面目に取り組んでいたつもりではあったがチームリーダーの小山くんにはいつも怒られていたし、サブリーダーのあんまり名前も覚えていない熊本プロレスのような女には家が遠くて足が重いことに不満を言われていたし、いつも穏やかな尼寺くんからはいつまでも「山本くん」と間違った名前で呼ばれていた。


マドンナ的存在だった山口さんに対しては木下と一緒に「これ結構衝撃だよ」と韓国のアイドルグループメンバーが舞台で踊っている最中に心臓発作で倒れ痙攣してしまう姿を他の誰も気に留めずに踊り続ける動画を見せ、油断させた瞬間にけたたましい音と共にホラー映像に切り替わるジャンプスクエア映像をイタズラで見せ、号泣させてしまったこともあった。

彼女はメンバーであるにもかかわらず、私と木下に『二度と口をきかない』と絶縁宣言をたたきつけ、本当にこれが最後の会話になった。


そしてそんな木下とも、私が彼女を家に呼んでいるにもかかわらずわざわざその時間に木下「頼んでたAVを貸してくれ」と家を訪れてきたことで疎遠となってしまった。


だがそれも全て、かけがえのない良い、大切な思い出だ。


それをルパンザファイアーを聴いて、ようやく思い出した。


18年前はあのコミュニティが全てであったのに、いまとなってはこうして、たまたまトリガー、いや、ワルサーP38の引き金に指でもかけない限りは一切思い出せないんだから、とても悲しいものだ。


生命よりも、記憶の寿命は遥かに短い。







福岡の街は豚骨の匂いで溢れていた。

それは誰かにとって至福の匂いなのかもしれないが、私はあの臭いがどうにも苦手で、私のうんざりを加速させた。


しこたま海鮮系の居酒屋で酒を飲み、ベロンベロンになった頃には匂いにはなれたが、どうにもこのキラキラとした街並みはある意味新宿歌舞伎町よりも厳しいものがあった。  


ふと目の前を見ると、そこには"日本一のナース専門店"という文字が川向こうに踊っていた。



なんて魅惑的な…

思い返せばプライベートはもちろん、こういうお店でもナースと遊んだことはない。

せっかくだからそのお店に行こうかと思ったが、よくよく見てみるとそれはソープランドだった。


ダメだ。高い。



結局仕方なくまだやっているメンズエステを検索し、施術を受けることにした。

『出張でいらしてくれたんですか?ならたくさんサービスしますね』

と嬢は言った。

『紙パンツは履かなくていいですよ。そのままシャワーから出てください』

このノーパン状態はつまり間違いなく裏オプの示唆である。

けれども酒に酔っていた私はすっかり眠くなってしまい、早々に眠りに落ちてしまう。

しばらくしてふと目を覚ますと、時間はもう残り30分しかなくなっていた。

だが、なんと彼女はまだ私の足の裏をスリスリしているだけだった。

こいつ60分も俺の足をスリスリしてんのかよ・・・

「ごめん、いまどの段階?」

そう尋ねると嬢はいきなり

『プラス5000円で抜いてあげれるけどどうする?』

と言う。


やれやれ。まったくどうかしている。

まともな施術もせずにしかもタケノコ剥ぎかよ。


福岡は夜はすごいと聞いていたがこれではたかが知れているなと感じた。

「いや、結構です」

と断ると嬢は顔色ひとつ変えず『了解です』と言い、そのまままた私の足のスリスリを続けた。

いや足もげるわ。

そして本当に90分が終わりを告げたのだった。







「最近物忘れがひどいんだ。昔のことも簡単に忘れてしまう」

『ああ。それは私も大差ないですよ』

「でも昔の記憶をごっそり忘れて、それで新しい記憶が入って、その記憶もそのうち忘れて、また別の記憶で埋め尽くされる。それって昔の俺と今の俺、同じって言えるのかな?」

『テセウスパラドックスですね。航海の途中で部品をすべて取り換えたテセウスの船は、行きと帰りでまったく別の物になったが、それは本当に同じ船だと言えるのか』

「おお。すごい。そんなの知ってるんだ」

『そういうの興味あってよく調べたりするんですよ。でもこの問題、キリがないですよ。どこまでいったってたいていのことは同一性が維持されます』

「じゃあやっぱり俺は俺だ」

『そうですね。失った昔の記憶で作られたもう一人の自分が現れない限りは』

「つまりこの店に入る前の酔っぱらった俺と、いま着替えを終えた俺は同一性があるってことだよね」

『そうです』

「なら言えるわ。いくらなんでも足スリスリだけして90分ってひどすぎだろう」


『記憶にありません』


生命よりも、記憶の寿命は遥かに短い。

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