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吹き替えと字幕は日本の誇れる文化だ

  日本の海外物吹き替えって、ほんっとに神業! 何であんなに口まで合うの? そもそも違う言語を喋っているんだよ? 声優もすごいけど、台詞作る翻訳も職人だ。
 海外で日本のアニメやる時なんて、地の声に上からかぶせたりしていたんだから! うっすら日本語が聞こえたりする。それに尺は全然合っていない。二重に言語が下層にあって、その上に放送言語だったりも。まあ、それも結構前の体験だから、今は是正されているかも知れないけれど。

 「小さなバイキング ビッケ」をエストニアで見たときは、既に下地が英語になっていて、そこに現地語を重ねて喋っていた。イタリアで「キャプテン翼」や「巨人の星」を放映していた時は、殆ど全員同じ声に聞こえた…。そもそも、キャプ翼はともかく、野球が盛んでもない国(そうは言っても、オリンピックとか野球の世界大会にはイタリア・チームいるけど。昔、ドジャーズに野茂がいたときの女房役だったマイク・ピアザがイタリアのナショナルチームの監督していたりしたはず。ピアザは名前の通りイタリア系だ。)でも「巨人の星」って、あなた…。今となっては虐待的父ちゃんと飛雄馬の関係、西洋人にどう映るんだか。

 ポケモンなんて、世界中にいたもん。グアムの映画館で「映画鑑賞おまけのポケモン・カードはもうありません」と張り紙が出ていたし(私はポケモンを見るために映画館に入ったのではない)、復活祭のケーキにマジパンで作ったピカチュウが店頭に並べられていて、その不細工さに唖然としたり。パチモンの衣服類や文房具なんて有象無象発見できた。(韻を踏んでいる――。)

 世界中で日本のアニメが人気なのは周知の通りだが、日本人としては片腹痛いような状況だったりした。海賊版も多く、正当な対価が日本に流れていないことが多いと思われた。(紙の本もひどいもので、「ドラえもん」がベトナムで、名前が長くて発音しづらいというだけで「ドラモン」にされていたり。しかも一冊30ページくらいしかない、わら半紙印刷……)かつては。最近は世界的に著作権などの認識が高くなっているから、変化が少しは起きていると信じたい。現状についてはよく知りませんが、良い物を真似て何が悪い! という文化の人々も未だに多いことだし。

 あ、脱線。吹き替え台本、声優の技術の話だった。
 私はじゃりん子の頃、外国人が日本語を喋っており、俳優は喋れる人を使っているのかと思っていた。いやいや、大体において何が国外なのか、どこまで理解していただろう?
 長じて英語はそのまま見る場合が増えたが、字幕がついていれば、分かる文字は見てしまう。動くものを追ってしまうのは、反射反応だ。テレビの放送では2カ国語放送がなければ、無論吹き替えのまま見たりもする。

 日本語の吹き替えの妙に開眼したのは「刑事スタスキー&ハッチ」。リアルタイムではなく、ずっと後になってから、あれってすげーかった、と気付いたのである。何度再放送がされていたのか知らないが、大人になってアメリカ国内で再放送をしているのをふと目にしたことがあった。無論、英語で喋っている。その時、「えっ! 〈ハッチ〉って〈ハッチンソン〉だったのか!」と初めて知ったのである。その上、結構「本物」の調子も日本語の「まんま」(ヘンな言い方だが)だったが、日本語の方が演技が上じゃないのか、と思うくらい、アテレコがフィットしていたのだと分かった。「スタさん」「ハッチ」の日本語での掛け合いは、本当に見事だった。訳の台本も絶妙だったのだろうが、恐らく下條アトムと高岡健二のアドリブもあって、あの生き生きとした台詞回しになったに違いない(あくまで個人の感想です)。もし視聴できるようなら、比較してみて欲しい。(見られるかどうかを調べないし、自分はもうしないけど……美化しているかも知れない記憶に寄り添います。どうせどっかに上がっているよね、動画。)

©Anne KITAE

 うーんと後に劇場版のリメイクが作られ、当然役者も変わっていたが、そもそもテレビの時とキャラ設定も違っていて、何だかなぁ、という感じだった。「初代」が2人ともカメオというか、ちょい顔見せで最後の方に出ていたが、なんとまあ、ご変貌を遂げられて――。それ自体、結構前の話である。
 いずれにしても、このアフレコ技術は日本の特性だと思う。ディズニーとかピクサーとかのアニメで起用されているハリウッドの大物スターが、声優として優れているかどうかなどについては判断できないが(そういう映画を見たいと思わないため)。更には日本のアニメなどに学んだ東アジアの状況もよく知らない。それでも日本の文化として誇っていい。威張れ!

 それから字幕も。これについては、結構世界各地の事情について調べたことがあるので、アフレコ技術よりも情報がある。その上で断言する。日本のは、凄い。勿論字数の関係で固有名詞を出せない、出しても分からないので普通名詞に変更されてしまう、文化の違いで呼び方が変わってしまう(兄弟姉妹)など色々な欠陥もあるが、それだけ削っても話が分かるようにするのは、並大抵のテクニックではない。

©Anne KITAE

 日本語以外の字幕では、読み切れないほど字数を出したり、画面と合っていなかったり、一画面で2人の台詞がほぼ同時に表出されてしまったり――かなり無理無理の力業でやっつけている。特にアルファベット圏は、画面で動く文字を追うのが得意でない。表音文字だと瞬時の意味理解が、表語文字に比べて遅い。一文字に意味が存在する漢字は、字幕と相性が良い。私は中国語の素養は全くないが、飛行機に乗って映画を見ていたりすると、英語の映画に中国語の字幕がついていることもある(消したくても消せない設定の時も)。で、さすがに簡体字では「????」となるが、それでもアラビア文字で出ているのに比べれば、推測が利く。繁体字なら尚のこと。
 今、地球上に漢字以外の表語文字は、現代使用されている中には多分存在しない(言い切るの、コワイ。違ったらごめんなさい。諸説あるかも)。だが、それ故にいつまで経っても、一般日本人は外国語に慣れ親しめない、のだと思う。多言語を自国圏に取り込みすぎてしまって、外来語とか、和製英語とか、こんな入り込み方をさせる言語って、珍しいんじゃないだろうか。言語系統すら説が定まらない不思議な言葉であり、比較言語学が成立しない。大体文字3種って凄くない? ローマ字入れて4種! 瞬間認識に利得有り。 
 また日本語は文法に緩い。主語がなくても分かることは多いし、語順移動や倒置も比較的自在。人称も発達しているから、「俺」「僕」「あたし」など書き分け喋り分けがしやすい。(宣伝して申し訳ないが、この辺りのことを拙作『偽訳』という作品の中でも取り上げている。↓)

 すごいぞ、日本語。(その日本語に興味を持って理解しようとしてくれる人々に感謝も!)

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