ODの考え方
現在世界で流行している、市販薬や処方薬のOD。昔、中学校の薬物乱用防止教室でODの話もされていた。
その時は、私に関係の無い話だと思っていた。
けれど今見てみるとどうだろう。薬が欲しい欲しいと喚くヤク中の姿そのものである。
ODをすると、服用して1時間弱で高揚感や多幸感を得ることが出来る。
それは、確かに娯楽となる行為だ。けれど……依存性であることに変わりは無い。
依存性は、基本的に周囲、または本人に害を与えるものだ。
薬がないと乱暴になったり、言語障害が出たり。ODのために万引きをしたなんて話も聞く。
より深刻な問題へと足を踏み入れるのが、依存性と言うものだろう……そう私は感じている。
ある人は“そんな深刻なことに、「自分が」なる訳が無い”と。
そんなはずは無い。今の自分がどれだけそう思っていたとしても、1度手を染めてしまってからはもう……沼に深く沈み込む事しか出来ないのだ。
やめようという強い意志がない限り、辞めることはそう容易くない。
だからこそ、私は声を大きくして言おう。
「ODからは今すぐ手を引け」と。
ODを初めてから1年、私はこの行為を始めたことを酷く後悔している。
無くなるお金、だんだんと分からなくなる普段の小さな幸せ、楽しみ。
記憶力も落ちてしまって、思考力の低下も感じる。
元々私は考えることが好きだった。なのに、だんだんそれが出来なくなる。思考の“重み”が無くなるのだ。その事実が本当に嫌だった。
迷惑を振りまいて生きているような気がしてならなかったし、自己嫌悪は酷くなった。
“もう二度とこんなことしない”そう言えたら、そして実行出来たなら。それがどんなにいい事だろう。
私も、もうこんなことしたくない。
離脱症状も酷い。酷く不安になり、希死念慮も大きい。
百害あって一利なし。OD中の多幸感、高揚感は良い事じゃない。
そもそも、人間的では無いと思う。幸せの感じ方は、こんな簡単であっていい訳が無い。
幸せというものは、自ら努力して、自らの行動と力が成したものであるべきものだ。
それ以外の幸せの感じ方を認めないというのではなく、“薬物で幸せを直接感じようとしているのが間違っている”と言いたいのだ。
人生に正解は無い。ただし、「やってはいけない間違い」というものはある。
犯罪を犯すことや、薬物を乱用すること。それも「やってはいけない間違い」なのだ。
だからこそ、私は「ODを辞めようと思わない」人が本当に大嫌いだ。間違いだとしても続けるその姿勢が、本当に許せない。
みんなきっと分かっている。ODというのは、良くない行為であること。
今一度考えて見てほしい。自分がしているその行為は、本当に今後の人生を豊かにするものなのか。
あの時持っていた夢は、あの時感じたときめきは。その薬で、無くしてしまってはないだろうか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?