人とまっこうから喧嘩するのが苦手っぽいということに気づきました。なので、それほどこだわらないことで平穏を保ってきたというか。自分とは如何にも合わないなということがあっても、ずらして、だまして、距離を取って、みたいなことをやってきたように思う。私はどうも、雑で、鈍感で、強くて、という方にいがちなので(なんでだろう)、本質的にアート的な活動と実は相性は悪くて、それを社会とつなぐ側の性質の人だと思うんだけど(これ自体にも非常に雑な話だ)、自分よりそこらへんの触覚が敏感な種類の人に嫌われたくないと思っているので指摘されると絶望的に攻撃されたと感じてしまうのが苦しいところなんだな、と。
なんで私が傷付いたと感じているのか、その傷を見つめながら、ある意味塩を塗って確かめながら最後まで、疲れきるまで、逃げずに向き合うってことが今の私にできる嫌われきらない為の唯一の方法だと思っているけれどどうなんでしょう。
なんだかうしろぐらいスタートになってしまったけども、5月は晴れ間もお多くて忙しく思考を巡らせ、企画をたくさん拵え、秋田にて余暇を過ごしていました。いい展示や公演にたくさん出会った気がするし、友人の活躍に悔しがって、元気な心があった。さっ、動き出す季節ですね。
⚙ MY NEW GEARは変身術!
お皿を買った、お花を買った、洋服を買った、本を買った。フライパンを買ってもらって古いものを捨てた。やっぱりいいねぇ、思考回路までもがリニューアルする感覚がある。
💬 誰にどういう風に伝えると物事が進むのかというサラリーマン的思考
を私があんまり持っていないことに気付いた…。働くことは非常に勉強になる。
🔭 街を観察するって本当に楽しいね
これ超おもしろい儀式だと思うんだけど!日曜日の浅草ロック座(ストリップ劇場)前の、自分の分身による列…!このあと20人目以降くらいからリアル人間が、モノの列に混ざってくる感じだった。
🌱 本質的なことが好きだけど大衆的なことの本質もあるしそれを行き来してほしいと言われて
本質と大衆は対極にあることではないはずなんですよね。旅人なのでいろんなところに顔を出すわけですが、ここまで遠いところにきたつもりだったのに、ここもまた井の中だった!みたいなことは最近多く感じていて。
痛みと快楽を伴うかもしれないけど、GoogleMapのスライダーをギュインギュイン言わせながら座標を絶えず変えていくしかないなぁと思っているところです。
🌼 黄色が好き
最近無性に黄色が好きなんだけど、調べたら、行動的/積極的/社交的/無神経/幼稚みたいに出てきて笑う。
📚 読書会とかいう素敵な集い
ダイナミズムがなくなってきて、私的物語の集積としての世界、みたいなのなんか流行っているよね。とか、フィクションが厳しい現代だよね。みたいなことを話せる友人がいる読書会。
👟 自分なりの「寂しさとは何か」を探しに
バレエのコンクールに行ってみたんですよ。超相対性理論といういつも聞いているPodcastで「寂しさとは何か」というお題の会で宿題があったので。
結果、そこに寂しさは見つけられなかったんだけど、もう戻りたくないけど戻れない距離というものは寂しさのヒントかもしれないなぁと。こういう”私いま何やってるんだろ”みたいなこと、やっていきたいな。(関係者でもないのにコンクール観劇にする人なんてよっぽどレアらしくて受付の人が戸惑っていた苦笑)
⛳️ 畳ってなんかこう所作=ダンスが誘発されるね
友だちのうちに居候させてもらったんだけど、畳の一室をお借りして。布団しかない畳の部屋は、地面に座るしかないからなのかもしれないけど、かなりダンスみたいなものがグリッドに誘発されるなぁと。
📃 身体や行為にある社会規範みたいなもの
誰もが自由に振る舞える空間っていうのは目指してきたものでもあったんだけど、バランスが難しいなと思っていて。そこにいる人の最低限の常識があってこそ成り立っているのかと思っていたりする。究極だれでも居心地よく「居れる」場所って理想なんだけど、無法地帯と紙一重というか。
でも一方で、突然踊りだしたり、寝転がったり、人のかたちを保たないことをしたらちょっと煙たがられるよなと、よく思いながら人のかたちを保とうと頑張って生きているので、ちょっとその辺の行為が許されている空気があるとめちゃくちゃ感動してしまったりする。