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怖いって感情はどこからやってくるのだろうか

2024年4月から山口に移住したので、その話を書き綴っていくマガジンを書き始めようかなと思ったら、初月からいろいろとやらかして4月を超えてしまった上に、2000字超えになってしまった日記です。

怖いって感情はどこから来るのだろうか。
いや、今回は移住が怖いとか転職が怖いとかいう話じゃないし、分かってる、怖さって「未知なることに対する恐怖心」であるとは頭では知っているんだけど、今回は実感のある身体感覚に限った話をしたい。

ここ数日、私は蛇口をひねるのが怖かった。バナナを食べるのが怖かった。もっと前は、力を抜くのが怖い、となっていた。

詳細は省くが、全くドジなことに、自転車から前方に転げ落ち右肘を完全に脱臼して時間外診療に駆け込んだ。ヒリヒリとした外傷的な痛みではなく、あ、これはやばいって瞬時に分かるやつで、手先の感覚は分かるし動くから骨折ではないのではと冷静に確認する一方、自分の肘が今どうなっているのか(形がおかしいこと以外は)分からないし、見たくもなかった。想像しない方がいいので、どうか「だっさ」と笑ってくれ。

人生最大のよくわからない呻き声をあげた。こぽっと骨のハマる音が聞こえてマシになった。出産とどっちが痛いのだろう、どうか今回の方であってほしい。

そう、怖さについて。
昨日は何かを掴むことすら怖かったのに、翌朝には自分の身体感覚の解像度が上がり、可動範囲を把握するごとに怖くなくなっていった。そして、人間の回復力とはすごいもので寝るごとに、可動域も増え、怖さもなくなり、怖くないからやってみようとやってみると全然できたということがたくさんあった。

私は昔から習得が遅かったらしい、歩き始めるのも、喋り始めるのも、よくよく観察して観察して、始めちゃえばすぐにできたと。たぶん、怖さを無視してその後に賭けるみたいな身体運用は苦手なんだけど、怖くないと思ってから分かってからの積み上げ型の身体運用は得意なのである。
(ちなみに前者が得意な友人はアクロバットな技が超得意なバレエダンサーになっている)

それにしても腕を伸ばすのが怖いという感覚が芽生えたのが意味わからなすぎて、レントゲンを撮るにしても「怖いです、怖い」と大のおとなが言いながら、寧ろ「私は今腕を伸ばしても大丈夫なんでしょうか、こんなに怖いのに」と聞きながらゆっっっくり肘を伸ばしたりしていて、ハタから見たら滑稽である笑(みんな優しかった)
でも、今回思ったのは、同じ症状でも痛みの感じ方は人それぞれだし、お医者さんは一般的な治療過程に対する知識はあっても、私のこの身体の内観からくる「うっ」という感情に対しては、分からないということ。

シーネをしてゴツい外見なので痛いですか?とよく聞かれたけれど、いつも一瞬答えに怯んでしまう。何もしなければ痛くはない。そして痛くなりそうな動きをしようものなら、その前に怖いがある。自分の肘をあと5mm伸ばしたらどうなってしまうか自分でも分からなくて、それに賭けることができなくて怖い。
しかもこのことを頭で考えるより先に「うっ」という感情がくる。そして治っていくのと同時に怖いラインがどんどん遠くにいく。すごい。

そう、最近『弱いロボット』(岡田美智男 著、2012年)を読んだ。
「とりあえず一歩を踏み出し、それを地面がしっかりと支える」という投機的な振る舞いと地面からのフィードバックがあって初めて歩ける、と。どうなってしまうかわからないけれどと、バランスを崩しながら、自分の身体を地面に委ねてみる。そして期待を裏切られなかったという安堵感を得てまた一歩を踏み出す。この拮抗状態は非流暢な私たちの会話にも当てはまると。これってどう考えても面白い。
なんてアンコントローラブルなやり方で私たちは生きているんでしょう。

ある程度、だれもが、怖さと友だちになって生きてきていて、その程度に関しては、その個々の身体と、それまでの身体運用の経験によって本当に異なっていると思った。だからお医者さんも分からない。生理痛も成長痛も骨折の痛さも他人と比べることはできない。いい痛みなのか、これはダメなやつなのかも、おそらくは経験則から身体が知っていて、「あ、怖い」っていうのも直接的なメッセージ。
「あ、怖い」があるから、「あ、じゃあ肩を外旋させればバナナに口が届くじゃん」みたいな新たな発見もある。
そして、肘を動かしたくないことで、「◯◯に手を届かせたい」という漫然とした身体への指令から、「肘は固定したまま手首と肩をこう動かして手先の位置をここに移動しよう」という超具体的な指令に変わっていったようで、無意識下で身体のコントロールが(アンコントロールなりに)効かないと、容易に食事も入浴も労働になり下がる。かなり重労働を先週はしてたけど、この歳になって身体の解像度ってこうも上がるのかとも。

あと、利き手じゃない左手でiPhoneを打つことが増えて、なんだか自然とカタコトになってしまうのにも自分で笑ってしまった。
左手で眉を描く、好物を口に運ぶ。慣れない手つきはそれはそれで結構愛しかったりするのでこれからもやっていきたい。

ちなみに転んだ日から2週間経った今日は、500mlペットボトル以上のものを右手だけで持つと「怖い」ってなるので、そこが今の怖いラインです。


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