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霜降り明星は「爆笑問題ルート」を辿ってしまうのか?⑥『漫才過剰考察』編
前回 ↓
というわけで久々の本シリーズなんですけれども。
前回「もしよかったら最初から読み返してみて」と無謀な呼びかけをしたのですが、思いのほかそのようにしてくれる方がいて嬉しい限りでございます。
それではさっそく続きへとまいりましょう。
シリーズ初回 ↓
ダウンタウン、ナインティナイン以来の“若天下”を目指す神童にとって、M-1グランプリ優勝はまたとない好機であった。
相方・せいやの提言に端を発した「第七世代」ブームの波にも乗り、破竹の勢いで霜降り明星はテレビ出演を重ねていく。
(引用元はすべて、髙比良くるま『漫才過剰考察』(辰巳出版))
粗 品 やっぱり最初はテレビ諦めてなかったんよ。M-1の後にテレビ1周するやん。それは普通にがむしゃらにやって、その後、冠番組とかレギュラーが始まって。第7世代のレギュラーが2~3個始まったんかな。全部MCや。そこでだんだんと「天下獲るぞ」って意気込むわけ。そこからしばらくは「バチバチいかなあかんな」って時期やって、おもんないと思ったら「おもんない」って言いまくってた。「こういう企画やろうと思ってるんです」って持ってこられるものに対して「なんやねん、これ」「キモいねん」って。
霜降り明星が出演する番組の企画の中で、錦鯉の二人が老人ホームでネタをやるロケがあった。そのVTRを面白くないものに仕立てたスタッフを粗品が呼び出し、「なんやねん、これ。なめんなよ芸人を。クソおもんないのう」と詰問したこともあったという。
「1~2年はケンカしまくっててん」
キツい口調のダメ出しには、どのような真意があったのだろうか。
粗 品 世直しというか、「俺はテレビで天下を獲るから、裏方にも俺ぐらいおもろいことしてもらわなあかん」って思ってた。「俺が出てる番組がおもんなかったら意味分からんから、そら言わせてもらうで」ってスタンスやな。もちろん言い方キツいから人もだんだん離れていくし、「粗品は性格悪い」って噂も回るよ。それでも「粗品さんと仕事がしたいです」って言ってくれる同世代を仲間にしようと思っててん。それぐらい俺に対して愛ある人と一緒にやっていこうという仲間探しの期間があって。
くるま はぁ~、そういう期間だったんですね。
粗 品 そう。で、バチバチにやった結果、1人もおらんかった。
くるま 悲し……。
我が「霜降り明星はこのまま「爆笑問題ルート」を~」シリーズでは、(失礼な話だが)“芸人にとってのお笑いの代表番組を持てていない”状態、その道筋を「爆笑問題ルート」と称し、霜降り明星も同じ道を辿ってしまうのではないか? ということをウジウジ考え続けてきた。
本シリーズの④において、私は霜降り明星が未だに(テレビの)代表番組を持てていない理由の一つとして「彼らがまだ有能なスタッフに出会えていないのではないか?」という仮説を立てた。
今回の「(仲間が)1人もおらんかった」という粗品の発言は、図らずも私の推測の正しさを裏付ける形となった。
ダウンタウンには菅賢治(ガースー)、斉藤敏豪(ヘイポー)がいた。
ナインティナインには片岡飛鳥がいた。
しかし、霜降り明星には「1人もおらんかった」。
それは霜降り明星にとって、そして我々視聴者にとっても、実に不幸な話である。
粗 品 ただ、正直、裏方におもろい人が1人もおらんかったんよ。芸人ってめっちゃおもろいやん。先輩も後輩も同期もおもろい奴山ほどおるのに、なんでスタッフってこんなおもんないんやろ? と思ってたな。放送作家も大嫌いやし。
くるま 粗品さん、作家がずっと嫌いですよね(笑)。
ある種の諦観に達した粗品は、いつしか千鳥・ノブが言っていた「テレビはテレビマンの単独ライブにゲストで出てる感覚でおれよ」というアドバイスを思い出し、テレビのスタッフとバチバチにやり合うのではなく、「自分のエゴじゃなくて(番組を)盛り上げに行くんが大事なんやな」と思い至る。
粗 品 そやねん。それともう一個、テレビにウワーッと出てた頃に思ってたのは、天下は獲るとしてどういうスピードで獲ろうかなってことやったな。「まだ神童コース残ってんなぁ」って思って。だから20代のうちにダウンタウン超え、ビートたけし、明石家さんま超えせなあかんと思っててん。
くるま でもそれだったら、スタッフにもバチバチ言わずに出ておいた方がよかったんじゃないんですか?
粗 品 いや、俺はなぁ、もっとえぐい天下が見たかったんよ。
くるま あぁ。迎合した上で今あるテレビの枠を全部獲るタイプの天下じゃなくて、「ごっつ」とか「めちゃイケ」みたいな超絶番組を20代で構えるタイプの天下ですか。
蛇足だが、「迎合した上で今あるテレビの枠を全部獲るタイプの天下」から私は近年の有吉弘行を連想した。
それにしても「天下は獲るとして」があっさり前提なのってすごいな。
粗 品 そうそう。順番待ってたら天下は獲れんねやろな、と思ってた。それは今も思ってるよ。テレビに定期的に出続けてたら40~50代になる頃には上の人たちがどっかいって、そこでMC担当して「売れてんなぁ」って言われるようになるやろ。でもそうじゃなくて、トップスピードで見たことない面白いテレビをやっていきたいと思ってた。でもこれは物理的にも感覚的にもいろいろ無理やったな。現にもう30歳になってもうたし。今はテレビは意地だけでやってるかな。
自身の年齢を執拗に意識していた粗品にとって「30歳」という年齢は明確な“神童”の終わりであった。
これらの粗品の述懐は、「「ごっつ」とか「めちゃイケ」みたいな超絶番組を20代で構え」られなかった“神童”の事実上の敗北宣言である。
粗 品 くるまは「自分が面白いと思ってることをテレビでやりたい!」みたいな気持ちはないん?
くるま それでいうと、僕、フジテレビで6年バイトしてて、粗品さんがテレビに出始めて感じた面白くなさにそこで気づいちゃったんだと思います。その時期にテレビの仕組み的なものを学んで「これは出てる人だけが面白いんだ」って理解しました。だからはっきり言って、つくってる人が面白くないというのは僕も思ってますよ。
その後、「台本ってめっちゃつまんないじゃないですか」とぶっちゃけるくるま。
テレビで面白いのは演者(出てる人)だけ。
つくってる人(放送作家、ディレクター等)に面白味を感じられなかったくるまは、そもそも売れる前からテレビに対して幻想を持っていなかった。その点が粗品と好対照であり、印象的だった。
「もう霜降り明星の面白いテレビ番組は見られないのだろうか?」
私を含む視聴者たちよ、悲嘆に暮れるのは早い。
どうやら、まだまだチャンスは残っているようだ。
粗 品 あとは、こんな俺でも「粗品さんと仕事したい」って言ってくれる人が今ちょっとだけおんねん。「新しいカギ」とかテレ東のレギュラーとか、レギュラー以外でもそういうスタッフさんがおるから、その人たちが出世するために俺を使ってもらうのは嬉しい、って感覚やね。「いいバイト」って感覚や。
粗 品 「もっとえぐいメインできるけどなぁ?」って感じやな。
粗 品 「誰が次にお笑い界牛耳るやろ」とか、そんなんはあんまり考えてないかもな。自分やと思ってるからっていうのもあんねんけど、(略)。
どうだろう、これらの言葉の端々に現れている“不遜さ”は。
事実上の年齢としての“神童”のリミットはもう迎えてしまったが、彼の内側で“神童”は未だに猛り狂っている。
神童は、まだ死んでいない。
粗品、ひいては霜降り明星は、現代に久々に現れた「スター」である。
しかし、破格の存在であるが故に、超一級の特選素材であるにもかかわらずテレビ業界で調理できる者が誰もいないというのが今の寂しい状況だ。
かつて“神童”だった頃の粗品は「23歳でこんな苦労してたら神童じゃない、ズルズルと普通のおもろいだけの芸人になってまう」と恐れていた。
その後は様々な苦闘があり、確かに「ズルズルと」ではあったかもしれないが、年を経てそこに残ったのは「普通」どころか「超絶におもろいだけの芸人」であった。
粗品の才能に匹敵するだけの、対となる存在のスタッフは今後はたして現れるのか。
こういうとき、ギャンブラー・粗品ならどっちに賭けるのだろう?
前回の結果は「1人もおらんかった」だ。
「たとえ確率が低くても、勝負を仕掛けなければならない瞬間がある」
これが、彼のギャンブルへの姿勢から私が勝手に読み取った勝負観だ。
その教えに従うならば、私としては確率が低い方に全ベットしたい。