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「内村プロデュース」復活に中島らもの言葉が交錯する夜

 

「お前たちはダメだー!!」

 国立競技場に響き渡るサングラス男の咆哮。
 「ああ、また帰ってきてくれたんだな…」と思った。

 9月28日放送の「内村プロデュース復活SP」(テレビ朝日)を見た。
 今年の夏に「内Pが特番で復活するらしい」の第一報を聞いたときは「嬉しいけどなんで!?」と寝耳に水だったが、“内村光良還暦記念”と知って「その理由だったら確かに復活できるかも…」と納得した。

 「内村プロデュース」のレギュラー放送が終わったのは2005年(もう19年も経つのか…)。
 視聴率が順調にもかかわらず急に終わってしまった印象があり、当時は「なんで…?」と寂しい気持になった。
 2008年の60分スペシャルを最後に特番の放送も無く、「きっとこのまま何もないんだろうなぁ」と半ばあきらめ、いつしか忘れていた。

 しかしここにきて16年ぶりにまさかの大復活。
 そりゃあもう血湧き肉躍りましたね。
 放映1週間前くらいから「内P復活まであと○日……」と脳内カウントダウンまで始まる始末。
 まさに指折り数えるといった感じで「好きなテレビ番組を待つ」ことのワクワク感を味わわせてもらった。テレビでこんなにワクワクしたのは本当に久しぶりだ。

お前たちはダメだー!!
 そして宴が始まった。

 かつてのレギュラー・常連メンバーのさまぁ~ず、有田哲平、バナナマン、有吉弘行らは「内P出てた芸人」というくくりで登場。
 それにしてもみんなすっかり出世してえらくなってしまった。
 他の番組ではMCを務めているのがもはや当たり前の、第一線で活躍する芸人ばかりだ。
 よくもこの豪華メンバーが同じ時間・同じ場所に集結したものだ。
 それもこれも、内村プロデューサーの人徳によるところが大きいのだろう。

 言ってみれば、内Pは現在活躍する芸人たちが飛躍するターニングポイントを多く作った番組であり、彼らにとって「内村プロデュース」は母校のようなものだ。
 恩師が還暦になったと聞けば、生徒たちというのは是が非でも駆け付けるものである。

 「笑わせ王」「引き出し王」「大喜利(ぴったし内P)」「露天風呂でだるまさんが転んだ」……、往年の名企画が目白押しであっという間の2時間だった(すごろくボードのベタなお約束感もなつかしい!)。
 MCクラスの「内P出てた芸人」はまったく刀が錆びついておらず、プレイヤーとしてもまだまだ充分に強いのがよく分かった。
 ふかわさんはふかわさんの持ち味のままだったが、ここまで時を経れば「円熟」と評しても不足は無い気がする(大喜利の「ポンピングブレーキ」でちゃんとクリーンヒットを飛ばしていたのでその日の寝付きはさぞかしよかったことであろう)。

 芸能界のタレントパワー的には現在トップに君臨している有吉さんが、「内P出てた芸人」の中では一番の後輩として少しぞんざいに扱われているのが今となっては非常に新鮮。
 でも確かに、内Pではもともとこんな風な扱いだったよなぁ。
 石鹸の泡にまみれた猫男爵のお姿は神々しく、もはや後光さえ見えました。
 大喜利のとき、アシスタントの白石麻衣(豪華!)に意味なく当たりが強いのも、往年の毒舌王っぷりが感じられてよかった。

 内P初参戦の「内P見てた芸人」組も現役バリバリの最前線で戦うメンバーばかりであり、ベテラン勢に負けじと全力でぶつかっていくのが見ていて気持がよかった。
 ただ、さらば青春の光の二人がコンプラ違反で三度も丸々カットをくらっていたのは「さすがに勘どころが悪いか?」と一瞬思ってしまったが、これは気合いが入り過ぎたがゆえのラフプレイ、ご愛嬌であろう。

 そう、内Pに出る芸人たちは、その場が芸人にとって最高の舞台であるからこそ、気合いが入り過ぎてしまうのである。
 過去には三村さんが「笑わせ王」でムチャをしてしまい、左膝靭帯断裂の憂き目に遭った。
 今回も「これ本当にケガしてない? 大丈夫?」と心配になるくらいのムチャが多発。
 ポケモンの技でたとえるならば(別にそれでたとえなくてもいいのだが)まさしく「すてみタックル」。
 どんな手段を使ってでも、目の前にいる人を笑わせること。
 それを叶えるために、芸人の本能に突き動かされるがままに彼らが導き出した最適解が「ムチャ」という行動である。
 ムチャは、内Pにおける華なのだ。

 内村光良、祝・還暦。
 今回の内村プロデューサーは徹底的に祝われる立場。
 芸人たちの死闘を「愉悦、愉悦」とふんぞり返って眺めているだけでも許される筈なのに、「じゃあせっかくだから、最後チェンにね…」と同期の出川さんからの提案で「引き出し王」に急遽参戦することに。
 急なフリに戸惑いつつ、覚悟を決めてから戦地に赴くまでのスピードがなんせ早い。
 自ら手本となって後輩たちに模範を示す。人の上に立つリーダーとして実に理想的な姿だ。
 プロデューサーからプレイヤーに変貌した内村さんのパフォーマンスも上々。
 還暦を迎えても颯爽と「10ポイント」をもぎ取るその姿、カッコよくてシビレました。

 夢のような時間を過ごしている内に脳裏に浮かんだのは、私が敬愛する作家・中島らもの言葉だった。

こうして生きてみるとわかるのだが、めったにはない、何十年に一回くらいしかないかもしれないが、「生きていてよかった」と思う夜がある。一度でもそういうことがあれば、その思いだけがあれば、あとはゴミクズみたいな日々であっても生きていける。

中島らも『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』より

 この言葉の解釈からすれば、もっと大きくて劇的に幸せな出来事でないと「生きていてよかった」に該当しないのかもしれないし、自ら起こしたアクションですらなく「テレビ放送」という外部から与えられた“ひょうたんから駒”的なラッキーではあるのだけれど、今回の内Pの復活は、私にとっては充分に「生きていてよかった」と思える夜だった。

 内Pの前回の特番は2008年。このときまだ私は学生だった。
 16年という時間はそのままイコールではないものの、私が「社会人として働く年月」をすっぽり覆う期間である。
 私がサラリーマンになってから内Pは無かったのだ、という事実に今更ながら気付いた。
 日々社会人として適度に頑張ってはいるが、基本的には「ゴミクズみたいな日々」である。
 でも、そんなダメな毎日が続いても、生きていて内Pの復活という僥倖に巡り会えるのであれば、それこそ私は今まで「生きていてよかった」と思った。
 内Pにそこまでの重荷を背負わせる気は毛頭無いのだが、私は、今までの私の生を肯定した。
 とにかく、最高の夜だったんだよ。

 それにしても、なんで急に中島らものことを思い出したんだろう。
 そうだ、中島らもと内村プロデューサーは、どっちもサングラスがトレードマークなのだった。

 「内Pの復活で生を肯定した」とかいつまでもそんなボンクラなことを平然と言ってしまえるから、内村プロデューサーはその身を挺して「お前たちはダメだー!!」と叱責してくるのかもしれない。
 でも、この一喝が聞けるのならば、我々はいつまでもダメなままでいい。
 内村光良さん。還暦、本当におめでとうございます。



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