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東京都現代美術館「坂本龍一 | 音を視る 時を聴く」そして何を想う

 高校生の頃、YMOにハマった。
 と言っても、直撃世代ではない。
 「散開」から20年が経ったタイミングで私はYMOと出会った。
 2000年代に高校生がYMOにハマるというのは自分で言うのもナンだが「通」というかなかなか「シブい」趣味だったと思う。
 YMOの全アルバムをひと通り聞き倒し、「もう聞けるアルバムが無い」という禁断症状で宙を搔きむしって苦しんだあとは、いきおい関心はそれぞれのメンバーのソロ・ワークスに向けられることになる。
 その流れの中で、私は坂本龍一の音楽に遭遇した。

YouTube Music において昨年2回トップリスナーの称号を得た私は、
坂本龍一について語る資格があるのだ……(厄介ファン)

 坂本龍一への思い入れを書くとなるとキリが無さそうなので、とりあえず本題に入る。
 過日、東京都現代美術館「坂本龍一 | 音を視る 時を聴く」を見た。
 前回の「高橋龍太郎コレクション」も見に行ったので、最近の都現美は見事に私の関心を突いてきますね…。

 今回の坂本龍一展がどんな趣旨だったのか、参考までに都現美ウェブサイトの文章をベタ貼りする。

東京都現代美術館では、このたび音楽家・アーティスト、坂本龍一(1952-2023)の大型インスタレーション作品を包括的に紹介する、日本では初となる最大規模の個展「坂本龍一|音を視る 時を聴く」を開催いたします。
坂本は50年以上に渡り、多彩な表現活動を通して、時代の先端を常に切りひらいてきました。90年代からはマルチメディアを駆使したライブパフォーマンスを展開し、さらに2000年代以降は、さまざまなアーティストとの協働を通して、音を展示空間に立体的に設置する試みを積極的に思考、実践しました。本展では、生前坂本が東京都現代美術館のために遺した展覧会構想を軸に、坂本の創作活動における長年の関心事であった音と時間をテーマに、未発表の新作と、これまでの代表作から成る没入型・体感型サウンド・インスタレーション作品10点あまりを、美術館屋内外の空間にダイナミックに構成・展開します。これらの作品を通して坂本の先駆的・実験的な創作活動の軌跡をたどり、この類稀なアーティストの新しい一面を広く紹介いたします。

 金曜に有休を取って開館時間の午前10時ちょい過ぎに入ったのだが、その時点で展示室への入場にかかる時間が「30分待ち」。
 さすがは世界のサカモト、未だにものすごい人気だ。
 平日でもこの混みようなのだから、土日祝なんてもっとすごいことになるだろう。

 坂本さん……というのはあんまりしっくりこないので「教授」と呼ぶ。
 大まかな感想としては「音楽と映像による枯山水」という感じだった。
 高みを目指した者だけが最後に辿り着ける、枯淡の境地。
 でもただ「枯れた」だけではなく、その裏には教授ならではの激しさが秘められているというか……。
 ビデオアート好き(と言ってもそんなに詳しくないが)の自分にとって、全身で教授の世界に埋没していく感覚があり、とても贅沢な空間だった。

【余談】
天井から水がポチャポチャ垂れてきてその波紋を見せる作品があったのだが、名作RPG『MOTHER2』のパワースポットの一つ「レイニーサークル」を私は連想した。

 最後の展示は、ホログラムの教授によるピアノのミニコンサートだ。
 機械仕掛けのピアノの鍵盤は実際に動いていて、そこに在りし日の教授がホログラムとなって覆いかぶさる形となっている。
 遠目で見れば、教授の亡霊がピアノを弾いている格好となる。
 仕掛けとしては、言ってみれば「子供だまし」の範疇に入るものかもしれない。
 でもそんな手段を使ってまで、現世の我々の目の前で演奏してくれる教授はいじらしいというか、もはや痛ましさすら感じる。それ故に、胸に迫ってくるものがある。
 かりそめの姿を借りてでも懸命に音楽を紡ぎ出そうとするその背中の、なんという敬虔さだろうか。
 音楽という芸術を愛し、その芸術に殉じた男が、自身のために奏でるレクイエム。その場に立ち会える観客の僥倖は、筆舌に尽くしがたい。

「芸術は長く、人生は短し」

 教授はちゃんと後世に残る芸術を、確かに遺していった。
 私は、自分の生が終わるまで坂本龍一の音楽を決して忘れることはないだろう。
 もし自分が死んだとしたら、そのあとの世界なんてものは「自分にとっては」無いも同然である。だから、私が死んだ時点で、私の中の坂本龍一の「永遠性」はそこで確約される。
 死後でさえも、私の頭の中で教授の音楽はきっと鳴り響いてくれる。
 そんな予感を聞き手に与える、ある種の強靭さを持った音楽である。


 最近、高野寛さんのエッセイ集『続く、イエローマジック』(mille books)を読んだ。

 高野さんは自他共に認める「YMOチルドレン」。
 YMOと邂逅してミュージシャンになったような人だから、YMOの楽曲、そのメンバーに懸ける想いも人一倍熱い。
 もちろん、本書には教授とのエピソードも登場する。

 翌年、坂本さんの次のアルバム『スムーチー』収録曲の作詞の依頼をいただいた。当時話題になり始めていたインターネットを題材に作詞してほしいというオーダーだったが、僕はまだネットにアクセスできる環境がなく、ニューヨークの坂本さんとは主にファックスでやりとりをしていた。
 時差で夜中に電話が掛かってくることも度々あった。それに業を煮やした坂本さんから
「インターネットをテーマに歌詞を書いているんだから、高野君も今すぐメールを始めなさい」
 と(教授の愛称を持つ坂本さんらしい口調で)諭されてしまった。
 詳しい知人に相談しながら周辺機器を揃え、何日も悪戦苦闘してようやく環境が整い、やっと人生初のメールをニューヨークの坂本さんに送った。すると五分も経たないうちに返信が来た。
「Congratulations!!!!!!!!!!! Welcome to Cyber World !」
 海を越えて即座にメッセージが届くスピード感、そして簡素な文面と「!」の多さに感動した。今では当たり前なそんなメールのやりとりでさえ、魔法のように感じられた。多くの人が同じように驚いていたあの頃、インターネットは底知れない可能性を秘めた理想郷のように期待されていた。

P93-94

 全面リスペクトのようでいてサラッと「!」の多さをイジっているのがジワる。確かに11個は多い。
 2023年3月28日以後はもっぱら教授の真面目な姿の写真を見る機会しか無かったが、そもそもは「!」を多く付け過ぎちゃうようなお茶目でキュートな一面も持ち合わせている人であった。
 最近のインターネットはすっかり淀んでしまった印象があるが、あの教授に「Welcome to Cyber World !」とまで言わしめたキラキラ感が最初期にはあったと思う。
 だいぶビターな味付けではあるし、「インターネット」というのもちょっと違うけど、いつかの教授が夢見た理想郷としての「Cyber World」が、今回の展覧会では縦横無尽に展開されていた。
 連日の大盛況には、会場のどこかにいるホログラムの教授も「Congratulations!!!!!!!!!!!」と多めの感嘆符で祝福していることだろう。




霧の彫刻
坂本龍一展は2025年3月30日(日)までの開催




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