能楽と武士道 (note2回目投稿)
★ 私の父親
2023年11月には90歳となる父親
家業のクリーニングの仕事も現役で、着物からワイシャツまであらゆる物をアイロン一つで綺麗に仕上げます。いつまでも越せない大きな壁がきくぞうの前に立ちはだかっています。
また、芸歴は約70年、日本伝統文化の能楽を嗜むもう一つの顔を持っています。流派は喜多流、家元ではないために、プロの能楽師ではありませんがいわゆるセミプロですね。指導者の資格を持ち、現在も能を簡素化した謡(うたい)、仕舞(しまい)の現役指導者でもあります。コロナ禍で大きな舞台や発表の場は少なくなりましたが、ほぼ毎日、仕事終わりには和室にこもり、文献を読んだり師匠である能楽師の動画を見ています。
上の写真は1999年に宮島の能舞台で「羽衣」のシテをつとめた時のもので、お弟子さんを地謡(じうたい)に従え、プロの囃子方(はやしかた)の先生方をバッグに約1時間、主役として演舞をしているものです。
当時、地元(鳥取)の新聞にも大きく取り上げられていました。
長年、大鼓(おおかわ)の鍛錬も欠かさず囃子にも造詣が深いです。芸の道に関しては飽くなき探究心を持っている尊敬出来る父親です。
★父の後ろ姿から学ぶ向上心と継続力
私は、物心ついた時から父のこの姿勢を見ていた事もあり、子供心に「なんか難しくて大変そう」と、感じていました。それでもお正月などには正座して謡の稽古をした事などは覚えています。私は父の後を継いで家業は頑張っていますが、この能楽に関しては継げませんでした。(実は私の長男、現在28歳は3歳の頃からお祖父ちゃんに稽古をつけてもらい、至る所で演舞した経験者ですが…。今でも県外から帰省した時は二人でお稽古しています。)
と言う事で、私にとって父は、職場の上司であり、芸の道の師匠でもあるわけです。私も剣道歴で言えば45年を過ぎ、「継続してる」と言う自負がありますが、父親の前では何の自慢にもなりません。
そんな父とのある会話が今でも心に残っています。
1999年に宮島の能舞台でプロの囃子方をバックに約1時間の演舞をした後に、私は、「父さん、この演舞は宝物として動画を保存しておかないとね」と
言ったのですが………。
返ってきた言葉は、何だったと思います⁉️
「そんなんはどうでもええ、技は常に進化するから」でした。大舞台での演舞のために、日にちもお金も費やし、プロの能楽師から直接指導を受け、何年も前から集大成だからと、この「宮島の能舞台での演舞」を一つの区切りにしていたと思っていた私は、呆気に取られました。
父にとっては、大舞台での能の演舞も、通過点だったのです。
あれから約24年………。今でもほぼ毎日の稽古を欠かさない父の後ろ姿は、芸の道は違えど、私の指針となっています。
聴力は衰えていますが、今でも足腰が丈夫で姿勢が綺麗です。
仕事と趣味をここまで楽しんでいる姿を息子としてもう少し、見させて頂きたいと感じています。
★ 能と剣道の共通点
喜多流という能の流派ですが、特徴としては、武士気質で素朴かつ豪放な芸風と言われています。能は直接お稽古していない私ですが、長年父の姿や、息子の演舞も観ていましたので剣道との共通点等、思う事が多々あります。
能は武士が嗜むべき諸芸の一つとして位置付けられていることは、注1)室町幕府の政所執事、伊勢貞頼が(1528)にまとめた武家故実書に見えるようですが、この辺りも今後、勉強してみたいと思います。
*頭の位置を変えない運足
*最小限の動きの中で表現する表現力
*脱力した無駄のない舞姿
*緩急をつけての演舞
剣道を嗜んでいる剣士の皆さんは、既にお気づきかと思いますが、全て剣道に必要な要素となっています。鑑賞するたびに武士道と繋がる事を感じずにはいられません。
★ 終わりに
なんか恥ずかしさもありますが、今回はきくぞうの父親のご紹介でした。
90歳を目前にしても、日々目標を持ち精進している姿を間近で見ているものとして、今なぜか無性に発信したくなりました。
最後までお付き合いくださりありがとうございました。
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注1)参考文献 宮本圭造 武家手猿楽の系譜-能が武士の芸能になるまで-
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