魔法の言葉
現在、私は、ジャパンウォーズという歴史物を書いています。
その中で多用している言葉が「ロマン」です。
よくわからない事象や、諸説有る事案の際に、この言葉を使っています。
魔法の言葉と言っても、いいかもしれません。
ただ単に「わからない」と言ってしまうと、なんとも無味無臭と言いますか、ぬくもりが無いように思えるのです。
と申しますのも、歴史学では、わからないとされていた事が、わかる瞬間があるからなんです。
遺跡や遺物の発見で、信じられていた事が覆される時もありますし、新しい文献史料の登場で、よくわからなかった事が明らかにされる時もあります。
「わからない」で終わらせられない、可能性が秘められているんです。
そして、その可能性を信じて、昼夜、懸命に調査している方々がいます。
「わからない」で済ますのは、そんな方々の熱意に対して、失礼な事をしているという気持ちにもなるんですね。
これまで「ロマン」として取り上げてきた内容も、もしかすると、いずれは、もしくは、明日にでも、わかるかもしれない。
そう考える時、可能性を含めた「ロマン」の方が、適切な表現なんじゃないかなと思うのです。
歴史学だけでなく、娯楽としての歴史においても、同じ事が言えると思います。
源義経は、チンギス・ハーンになったとか、秀吉と家康は、本能寺の変を事前に察知していたなどの妄想説がありますよね。
そういった事を「わからない」で済ませると、なんとも冷たいと申しますか、そこで話は終了してしまいます。
でも「ロマン」と表現すれば、話が盛り上がりますよね。
信じられない妄想を語る人がいても、相手の心を傷つけずに済みます。
また、省エネな言葉だとも思っています。
「信じるか、信じないかは、あなた次第」という言葉もありますが、これだと、多くの文字数を使ってしまいます。
それに比べて「ロマン」は、たったの三文字だけ。
「ロマンだね」でも、五文字です。
とっても便利な魔法の言葉だと思います。
これからも、いろんな場面で「ロマン」を使っていきたいですね。