JW27 彦五瀬の最期
【神武東征編】EP27 彦五瀬の最期
前回、和歌山県は紀の川河口近くにある、水門吹上神社(みなとふきあげじんじゃ)を紹介させてもらった。
この地でも、彦五瀬命(ひこいつせ・のみこと)(以下、イツセ)は雄叫びを上げていたのであるが、まだ息を引き取る気配はないのであった。
この状況に、狭野尊(さの・のみこと)(以下、サノ)は困惑していたが、他の者たちは、そうでもなかった。
というわけで、意気揚々と、次兄の稲飯命(いなひ・のみこと)と三兄の三毛入野命(みけいりの・のみこと)(以下、ミケ)が説明を始めた。
稲飯(いなひ)「兄上は、水門吹上神社が鎮座している地で雄叫びを上げたのち、そこから南の地に向かったじ。現在は、竈山神社(かまやまじんじゃ)があるじ。」
サノ「竈山神社?」
ミケ「この竈山が、イツセの兄上が亡くなられたとされている地なんや。」
イツセ「じゃ・・・じゃが(そうだよ)。『日本書紀(にほんしょき)』では、竈山に来た時に、陣没(じんぼつ)したことになっちょるんや。」
ミケ「神社の裏手には、兄上を葬った陵墓(りょうぼ)があるじ。円墳(えんぷん)で、直径約6m、高さ約1m。命日の5月8日には、雄誥祭(おたけびさい)がおこなわれてるっちゃ。」
稲飯(いなひ)「竈山神社には、今は枯れちょるが、かつて桜川(さくらがわ)という川が流れちょった。その川で、兄上が傷を洗ったという伝承も残ってるんやじ。」
更に、博学の天種子命(あまのたね・のみこと)とサノの息子、手研耳命(たぎしみみ・のみこと)(以下、タギシ)も説明に加わった。
天種子(あまのたね)「神社周辺には、木野(きの)、笠野(かさの)、鵜飼(うかい)の三家があり、代々、竈山のイツセ様の墓を守ってきたそうにあらしゃいます。」
タギシ「鵜飼氏は、かつて神職を継承してきたそうです。今も氏子の多くは、三家の苗字らしいですぞ。」
一代目こと椎根津彦(しいねつひこ)(以下、Seesaw)も参戦。
Seesaw「笠野家には口伝で、長髄彦(ながすねひこ)との戦いの記録が伝わってるそうやに。苦戦ぶりを語り継いでるっちゃ。下記、御参照くだされ。」×2
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