世界史人物伝 No.195~196
No.195 アウグスト・ユンケル
1868(慶応4)または1870(明治3)1月27日~1944(昭和19)1月5日
姓:ユンケル(Junker)
名:アウグスト(August)
性別:男
出身地:ドイツ、ノルトライン=ヴェストファーレン州、シュトルベルク
日本で活動したヴァイオリニスト、指揮者。アメリカ合衆国でも活躍した。
No.196 ハインリヒ・ヴェルクマイスター
1883(明治16)3月31日~1936(昭和11)8月16日
姓:ヴェルクマイスター(Werkmeister)
名:ハインリヒ(Heinrich)
性別:男
出身地:ドイツ、ノルトライン=ヴェストファーレン州、バルメン(現在のヴッパータール)
日本で活躍した作曲家、指揮者、チェロ奏者。
アウグスト・ユンケルの生涯
ケルン音楽院で、ヨーゼフ・ヨアヒムにヴァイオリンを師事。
1890(明治23)ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の第一ヴァイオリン奏者として入団(後に、コンサートマスターに昇格)。
1891(明治24)から1897(明治30)まで渡米し、シカゴ交響楽団などでヴァイオリン奏者を務めた。
1899(明治32)来日。
東京音楽学校教師として、ヴァイオリンと管弦楽の教育にあたった。
瀧廉太郎(たき・れんたろう)、三浦環(みうら・たまき)、山田耕作(やまだ・こうさく)、信時潔(のぶとき・きよし)など、多くの音楽家を育てている。
1906(明治39)鎌田能ふ(かまた・のぶ)と結婚。
翌年、ドイツ政府からプロフェッソールの称号を贈られた。
1912(明治45)教員を退官。
1913(大正2)には、勲二等瑞宝章を受章した。
アーヘン音楽大学教授、アーヘン室内交響楽団指揮者として活動した後、1934(昭和9)再来日。
以後、武蔵野音楽学校教授となり、晩年まで指導に当たった。
再来日後も新交響楽団、松竹交響楽団(後に、大東亜交響楽団)などの演奏会で指揮を執っている。
1944(昭和19)東京にて死去した。
ハインリヒ・ヴェルクマイスターの生涯
ベルリン芸術大学で指揮・作曲・バイオリンをヨーゼフ・ヨアヒムに、チェロをロベルト・ハウスマンに師事し、1907(明治40)卒業。
同年12月に来日。
東京音楽学校(現在の東京芸術大学)に赴任し、チェロ、作曲、和声学などを講じた。
1921(大正10)まで在職したが、一旦帰国。
1923(大正12)再来日した。
東京高等音楽学院(現在の国立音楽大学)にて、1927(昭和2)4月~1936(昭和11)3月まで教員を務めた。
また、東洋音楽学校(現在の東京音楽大学)、帝国劇場附属洋学部などでも教鞭を執り、我が国の音楽隆盛に貢献。
アウグスト・ユンケルと並んで日本管弦楽界の育ての親とされている。
山田耕筰(やまだ・こうさく)のベルリン留学に協力したり、信時潔(のぶとき・きよし)らの弟子を育て、黎明期の日本人作曲家の育成にもつとめた。
日本(東京市渋谷区美竹町)にて、53歳で亡くなった。