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被爆したピアノ。

もうすぐ8月6日。
転勤族で広島には2歳から9歳くらいまで住んでいた事もあり
少しだけ接したり学ぶ機会が多かった。

記憶にあるのは毎年、広島市内の小学生が
折り紙に願いを書いて千羽鶴を折った事。
6年生が1年生に、5年生が2年生にというように
折り方を生徒同士で教えながら行っていたのが印象深い。

私は高学年になる頃には広島にいなかったので
教わった記憶しかないが
その交流がとても素敵だった記憶として今でも思い出される。
勝手に広島の人はみんな千羽鶴が折れると。
出来ればそうあって欲しいなんて思ったり。

ニュースで今年はコロナの影響で式典が縮小し
少人数の合唱を被爆したピアノで高校生が行うという内容をやっていた。

意外だったのが
『初めて被爆ピアノの演奏を広島から届ける』という所だ。
原爆投下から75年を迎えて初めてとの事。
各地で“被爆ピアノ“の演奏会は行われていたのに
大切な場所では行われてこなかったのだろうか。
広島で演奏はされても平和式典で披露される事はなかったのかもしれない。

奇跡的に残ったピアノ。
弦も2本変えただけで他はそのまま。
(さらっと聞いていたので違ったらすみません)
とにかく原爆を投下された時の状態にほぼ近いらしい。

もしピアノが話せればな…なんて思った。
どんな事を語ってくれるだろう。
その時の恐怖なのか驚きなのか。
それとも被爆してからの75年の事だろうか。
きっと本人も目まぐるしく驚くような75年だったのではないか。
そんな事を思いながらニュースを聞いていた。

そして他の事も思った。
被爆ピアノは歓迎されるのに
福島原発で被曝したかもしれない植物・動物・土地には冷たい。
もちろん理由も分かっている。
時間が経てば貴重な宝物となり
日が浅いものは害として受け止められる。
これは体の安全の為にも世界共通だろう。
でも、なんだかな…。

“被爆”ピアノは人を寄せつけ
“被曝”地域に関するものは人が避ける。
それこそ75年経てば避けなくなっているかもしれない。
言葉や文字にすればすぐだが、75年って人一人の人生の重さだ。
そんな苦しみを今も福島でしている人達がいる。
ついつい忘れそうになるこの現実を
覚えておかなければいけないと気付かされた。

今回、“被曝”と“被爆”の違いを知る事が出来た。

どうかこれから先の未来、“被爆”の被害にあうモノがありませんように。
新しい“被爆ピアノ”が誕生しませんように。
“被曝”により苦しんでいる方達の苦しみがいつか必ず報われますように。

コロナで大変な今現在だけど
8月6日午前8時15分という大切な時間に
今年、私はそう祈ろうと心に誓った。


仮にサポートを頂けましたら大変貴重ですので大事に宝箱にしまいます。そして宝箱を見て自分頑張ってるねと褒めてあげます(〃ω〃) ♪