水泳を取り巻く環境を考える
時代にどう向き合うかの巻
水泳の環境整備には対応が急がれる
先日、私の知人が結婚式を挙げました。
光栄なことに式へのご招待を受けていたのですが…。
残念ながら私は所用で式に出席できませんでした。
しかし、実は未だにそのことを無念に思っています。
その方は、とあるメディアの取材で出会いました。
私に対して丁寧にインタビューをして下さったのが知り合った縁です。
「水泳」とは縁がなかったはずの方が取材に来てくれるのですから。
これは間違いなく縁ですよ。笑
で、この方の結婚式。
実は、いわゆる性的少数者同士のカップル。
一般的な結婚式とはちょっと違いました。
バイセクシャルの女性と、Xジェンダーの男性。
披露宴ではふたりともウェディングドレスでした。
性別に関係なく、自由な選択肢で結婚式を挙げる。
これって、これからの選択肢のひとつになる可能性が高いです。
彼女たちはメディアを通し、あるいは教育現場に出向くなどして、LGBTなど性的少数者への理解を広めています。
私は以前、インタビューされる側でお話をしました。
でも、本当は彼女たちからいろいろな話を聞きたくてしょうがない。
今そんな感じなんです。
ところで、それと水泳との関係ですが。
そりゃもう言うまでもなく十分想像できるのでは?
水着1枚、裸に近い状態で多数の方々と同じプールに入ります。
性的少数者への配慮を考えた場合、とにかく今のままでは対応が遅れすぎていると言わざるを得ません。
施設問題
まず、プールへ行ったことを思い出してみてください。
受付を通過して、その次に行くのは「更衣室」です。
さて、どうしましょう?
男子更衣室・女子更衣室はあります。
そのどちらかを選ぶしかありません。
この時点で性的少数者の方々にはストレスですね。
同様にトイレもです。
充実した施設であっても、バリアフリーや幼児に対応したユニバーサルなトイレが設置されているのが限界でしょう。
しかし、そのトイレが必要な方がいらっしゃることを考えてしまうので入るにもきっと気を遣うのではないかと思うわけです。
こんな場合、いったい施設側のとるべき対応はどのような対応が果たしてベストなのでしょうか。
公共の場でも、民間の施設でも非常に難しいと思います。
可能であれば、特別な更衣室(小さくてもいいと思います)
これを設置してあげるスペースの余裕が欲しいですよね。
水着問題
これもまたひとつの問題ですね。
スイミングスクールの場合、物販売上の要になっている指定水着。
多くは男子・女子と別れています。
最近では多様性に対応しようと足のマークのメーカーが男女兼用を意識したスクール水着を制作・販売しています。
でも、この水着は小学校中学年までしか通用しない印象です。
さすがに高学年の多感な時期には構造上苦しい。
(セパレートタイプの水着で、トップはタンクトップタイプ、ボトムはショートスパッツタイプがベースになっています)
別に本人たちの着たい水着を着ればいいのでしょうが。
そこにミートするような水着ってどんななんだろう?
そして、その姿を見る周囲の目もある意味寛容でなければ。
施設側に苦情を出してくる方がいないとも限らない。
今はそういう意味でも発展途上段階だと思っています。
多様性への理解を求めるのではなく広める
例えばオリンピックを頂点とした競技の場においても同様です。
明らかに男性の肉体を持った選手が、女子ということで出場しちゃう。
同程度の技術で争えばほとんどの場合、圧倒的に決まっています。
いわゆる「新記録」とかの考え方も崩れてきます。
でも、実際に世界に目を向ければそういうことが始まってきています。
そして、やはり議論が生まれ対応に追われています。
想定できないスピードで時代が進んでいるのは確かでしょう。
しかし、何をもって平等とするかの検討は遅れてしまっているのではないでしょうか。
でも、決めるほうも頭が痛いですよね…。
心中お察し申し上げます。
多様性なんて少し前ならどこかの国の話くらいに思っていたのに。
まさかこんな身近に対応を迫られるとは。
そのくらい急激な変化が起きていると思います。
私はまず多様性への理解を求めていくというよりは、そういう立場への理解を広めるのが先決かと考えています。
私も含めてもっともっと情報収集しないといけない。
周囲が優しく受け入れる環境づくりが必要なのかな。
施設や指導者が
「今こういう時代だからこうやって」
と指示して進めることではなく、みんなから自発的に受け入れていくような社会がいいですね。
恐らくきっと何年もしないうちにそういう社会になるのでしょうが。
そのときには施設設備にも追い付いていて欲しいな。
費用もかかることだから難しいのも理解できますがね。
この問題については、先ほどのカップルとお会いすることができたらまた続報させて頂きます。
今日は私が一方的に問題提起しているようなコラムですから。
逆取材して、少しは道筋が立てられるように追記したいと考えています。
それにしても、人との縁には助けられることが多いですね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
また連絡します。