ぼくをすてないで
私は3人兄妹の末っ子だ。
3ツ上の兄が一人と、双子の兄(カタワレ)が一人。私は男女の双子で産まれた。
母から聞いた話じゃ、私たちが産まれた日がたまたま「雛祭り」だったことから、
「お代理様とお雛様だねぇ」
なんて、祝福の言葉を受けたりしたらしい。
「お代理様」のカタワレはともかくとして、私はとんだ「お雛様」に育っちまったが。
母の話じゃ当時、お腹のお子が男か女か、産まれるまで分からなかったそうな。双子ってのは分かっていたが、男か女か?どっちだ?って感じだったらしい。
なかなかのバクチな時代やないか。
で、当時は当然ながら「普通分娩」やったんで、母は一人産んだ後にまた産むという状態。なんつーハードでスリリングな時代。母、すげぇ。
聞いた話じゃ、双子だとリスクもあるから、今は必ず「帝王切開」になるそうだよ。
兄という「男の子」が既にいたことから、実は内心「女の子」が欲しかった母は、分娩台の上で出てきた一人目が「男の子です!」って言われて、「あぁ〜、男子の双子かぁ〜」ってなったそうで。
次に出てきたのがまさかの女子の私だったから、めちゃくちゃ嬉しかったそうな。
男女の双子なんて珍しかったみたいでさ。そりゃぁもう、奇跡だ神様ありがとうとなったらしい。母らしい感想だ。
男女の双子が自然にできる確率って、少ないんかしら?実際どうなんかは知らんけど。
まぁ、そんな訳で。
一人っ子だった3才になったばかりの私の兄は、突然男女の双子の兄となったわけだ。
兄は、大人になってからやっと「発達障害」と診断された人である。
幼い頃から、ちょっと難しい子どもだった兄。
赤ちゃんの頃から、部屋に一人で座って何を見るでもなしにボーッと「空(くう)」を見ていたりしていたそうで、母は父に
「ちょっと様子がおかしいから、注意して見ていて」
と、言ったりしていたそうだ。
兄が産まれたときは、兄の幸せを願って一生懸命に名前を考えた父は、私たちが産まれたときは母に
「どーせいろいろ考えたって〝あんなん〟なるし、名前なんて意味がない。お前が二人ともつけていい」
と、めっちゃクソッタレ発言をしてた。ま、私の父らしい発言だけど。だって、その通りだし。
父は今も昔もそんな人だ。
私たち双子の名前は、母がつけてくれた。
母は無事退院し、双子が自宅に帰ってきて、親戚がお祝いに会いにきてくれた。みんな私たちを抱っこしたりして、ニコニコと嬉しそうだったようだ。
兄をのぞいては。
これは、もう亡くなってしまった母から聞いた話なので詳細は確認できないが、兄は私たち双子がいきなり現れてかなり混乱してたんだと思う。
兄は、私の祖父が双子を抱っこして笑っていたとき、後ろからそのハゲ頭を
「パシーーーン!!」と、突然叩いたそうだ。
おそらく嫉妬したのだろう。
そらそうだよね。やっと帰ってきた母は赤ちゃんに付きっきりで独り占めできないし、久しぶりに遊びにきてくれたじぃちゃんばぁちゃんはみんな赤ちゃんに夢中だ。
ヤキモチを焼いて当然だ。
そして、その夜。
布団に入った兄は、
「ママ、ぼくをすてないでね」
と、母に言った。
捨てるわけない。母が我が子を捨てるわけがない。
「子を捨てる」なんて、幼い兄に一体誰が教えたんだろう。
母は何年も経ってから、私にだけその話を教えてくれた。
この話は、自分が二人目のムスコを産む時にめちゃくちゃ思い出して、すごく気をつけた。
姉となるムスメが、兄のような辛い気持ちになってほしくないとすごくすごく思った。
「ムスコちゃんはまだ赤ちゃんだから大丈夫!何も分かっていないよ。これまで通り、ムスメちゃんを優先してあげたらいいよ。」
と、先輩ママに言われたときは、なんだか救われたような気持ちになったよね。
今、兄はその時の事を覚えているのだろうか。
母がいなくなった家で、父と二人で暮らす兄は幸せなんだろうかと思うと、たまにせつなくなる。
私にできる事はなんなんだろうか、私にできる事はあるんだろうか、と、日々考えている。
答えは出ない。