見出し画像

東京ドームへ行った日

私が小学6年生のとき、家族で「東京ドーム」へ野球観戦に行った。
あれは5月のゴールデンウィークだった。
家族5人揃っての一泊旅行だったので、親はなかなか大変だったろうと思う。


「東京ドーム」は、私がまだ小学5年だった1988年の3月に完成した。「ビッグエッグ」などという名称で親しまれ始めたばかりで、できたてホヤホヤだ。

ニュースやらで、卵のような、メロンパンの表面のような、白い屋根が映し出されるのを見る度になんとも言えない不思議な気分になり、なんだか未来的な気持ちになったものだ。


そんな矢先、母が
「東京ドーム観戦ツアーが当たった!」
と、言ったのだった。

我が家は、父がカープファンであったが、双子のカタワレ(男)は熱狂的な巨人ファンだった。影響を受けて、私も兄もどちらかというと巨人推しだった。
そんなカタワレの強い要望で、母は家族5人分のチケットをGETしたのだった。なんてミーハー力。
母が「当たった」と確かに言ったと私は記憶しているが、それは抽選だったのか先着順だったのかは分からない。


対戦カードは「巨人×阪神」。

当時の巨人といえば、ピッチャーは桑田、当時は珍しかった外国人助っ人投手のガリクソン、4番で外野のクロマティ、爽やか若旦那の原、元気いっぱいの中畑清、打撃も守りも職人な篠塚、背番号「0」の川相、そして監督は世界の王貞治。
記憶しているだけでもどんどん出てくる。そんなスター選手ばかりだった。

特に、私は桑田真澄が大好きだった。

ほんとゆうと、野球はよく分からなかったのだけど、地上波しか無かったその頃のテレビは、珍プレー好プレーもしょっちゅう放映していたし、ゴールデンタイムは野球の試合ばかりだったし、世間は野球一色だったのだ。


そんな訳で、小学6年生のGW初日の早朝。
我ら家族は自宅から一番近い国道沿いのバス停から、ツアーバスへと乗り込むのであった。

バスの乗客は何人くらいだったか、うろ覚えだが満席ではなかった。おそらく、10組くらいはいたと思う。皆大人だった。主に30代〜50代の男女だったが、男性同士の組が多かっただろうか。
そんな中、カタワレの親友であるサカジくんがお父さんと二人で座っていた。なんたる偶然。
「あれー!サカジくんじゃん!!」
と、盛り上がる。

サカジくんは根っからの阪神ファンだった。
当時の小学生は「推し」の野球チームの帽子を被って通学していたもんだが、当然サカジくんはストライプの阪神帽を被っていた。
カタワレはいつも巨人の黒キャップだった。


さて、バスは高速へと向かう。
添乗員さんが乗客に挨拶をし、話しを始めた。

「実は、巨人側の席が5枚しか無くてですねぇ…。」
「〇〇さんのご家族がちょうど5名なので、お譲りしてもよろしいでしょうか?」

「〇〇さん」は、我が家だった。
乗客にいた子ども4人中、3人が我が家だった。
マジ?そんな待遇いいの?と、思う私。カタワレは当然嬉しいだろう。どんな顔していたか見なかったけど。

しかし、しばしの車内沈黙の後、頭にグラサンを乗せて腕を組んで、私の近くの席に座っていた女性がやおら口を開いた。

「それはちょっと都合良過ぎません?」
「だって、私たちだって巨人ファンですよ。」
「巨人席で応援したいわよねぇ!」

と、まくしたてた。
その唇は真っ赤で、髪型はソバージュだった。口調もキツかったので、めちゃくちゃ覚えている。他の乗客の事なんてからっきし覚えとらんのに、そのソバージュ女の顔は今でも忘れない。

添乗員さんが困って、
「では…巨人ファンの方って、他にもいらっしゃいますか?」
と、全体に聞く。

サカジくん親子2名以外、全員がおずおずと手を挙げた。

「あぁ〜…じゃぁ〜…ジャンケン…に…しましょうか…💦」

と、なる添乗員さん。
そして我が家の父母に「すみません…よろしいですか?」と聞く。

父は「いやいや、大丈夫ですよ」と明るく言い、ジャンケン合戦に我が家代表として出場した。


父はなかなか強かったようで、最後の二組まで勝ち進んで負けた。
相手は二人組だったので、巨人軍の席は3枚余る訳なのだが、母は
「家族一緒の席に座れないので、他の方にお譲りします。」
と、言った。

残り3枚をかけてまたジャンケン合戦が繰り広げられたのだが、私はすこぶる不愉快になっていた。
「浅ましい」大人達だと。
当時の私はそんな単語なんて知らなかったと思うが、それに近い感情を抱いて、不機嫌になっていた。


特に、最初に反対意見を言ったあのソバージュ女にムカついていた。
なんとなく、我が家に譲っていいかな〜…お子さんいるしね〜…って空気になってたのにさ。あいつ、最悪だよ、と。

記憶は朧だが、ソバージュ女は結局、ジャンケ
ンに負けていた。

ざまぁと、大人に対してめちゃくちゃ思った。
「欲を出すからだよ。」
と。3枚のチケットを譲った、母を見習えと思った。

東京ドームは凄かった。
天井が白い、でかい、高い。
そして芝がとにかくグリーンで綺麗。

想像していたより遥かに広い広いスタンドは、人でギッシリだった。とにかくすごい人だった。凄すぎて、頭がボーッとして目がチカチカした。
GW中の、阪神との3連戦の初戦である。おまけに「初東京ドーム」だ。これが盛り上がらずにおれるかい。

そんな中、母は私たちに

「こっち(阪神側)で良かったね!巨人のベンチが良く見えるよ!」
と、言った。
見ると、確かに巨人のユニフォームを着た選手がたくさんベンチにいるのが分かる。
私の「推し」の桑田はその日の先発投手だった。テレビで見ていた背番号「18」が、確かに見えて動いている。

「ラッキーだったね!」

と、母は言った。本当にそうだと思った。私は感動していた。


試合はどんどん進み、細かい事はもう覚えてはいない。記憶の中の私は、

「原ー!打てー!!」
「桑田ー!打たれるなー!!」

とか、夢中で叫んで、カタワレに
「変なとこで声を出すな」
と怒られた。うるせぇ。

しかし、残念ながら巨人は負けた。
阪神ファンのサカジくん親子は、私たち家族のすぐ近くの席だった。母は
「サカジくん、良かったねー!」
と、試合後に声を掛けていた。
サカジくんはうんうんと首を何度も上下に振って、本当に嬉しそうにニコニコしていた。

母ってすごいなって思った。


ところで、この話を書くにあたりまして、カタワレにも詳細確認しようと連絡してみたのだが、実によく覚えていた。
記憶力が良いと定評のある私よりも、遥かによく覚えていたのだった。

ドーム後は東京に一泊したとか、翌日は帰り方面途中にあるフラワーパークに立ち寄ったとか、帰りのバスではラジオ中継で巨人阪神戦の第二戦を聞いただとか、先発はガリクソンだったとか、二日目も負けただとか、それはそれはすんげぇ覚えていた。試合はデーゲームだったらしい。

そして、もちろんジャンケン合戦の事も覚えていた。ソバージュ女まで覚えてたかどうかは聞かなかったけどさ。

「まぁ、あれは僕が行きたくて行ったようなもんだから」

と、言っていた。


子どもってさ、昔の思い出を意外と簡単に忘れちゃったりもするけどさ。印象深い事とかは忘れられないもんなんだよね。
感受性が豊かだったりすると尚更だ。

母の素敵な行いも、ソバージュ女の醜い言動も、全部胸に刻みこまれている。
そんな数々の出来事が、「私」という人格を作り上げられる上で、大いに影響したんだと思わずにはおれなくなるよね。


ディズニー映画の「塔の上のラプンツェル」で、偽物のお母さんである嫌な奴のゴーテルに育てられたはずのラプンツェルだが、めちゃくちゃいい子だ。

だから、ラプンツェルはきっとゴーテルにとっても大事に、めちゃ可愛がって育てられたんだろうなって思う。
ま、ゴーテルはその「髪」が大事だったから当然かもだけど。

けど、コロコロと感情が浮き沈みするラプンツェルの様子を見ると、時たま垣間見えるゴーテルの「裏」の顔に、めちゃくちゃ戸惑いながら育ってしまったんだろうな、とも思う。


幼子の前で、迂闊な事はやったらあかんって、ほとほと感じちゃう今日この頃だ。
できれば、カッコ良い姿で人の記憶に残りたいなって、私は思うのだよ。


#未来のためにできること

いいなと思ったら応援しよう!

キクトモ
応援していただけるとありがたいです。いただいたチップは、今後の創作活動や家族との楽しみのために使わせていただきます✨