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「桐島、部活やめるってよ」を観た

2012年、8月公開だったらしい。
現在小6のムスコが生まれた年と月だ。完全に一致しとる。

日本公開日は11日。
するってーと、あっしはでっかい腹で「ちょっと貧血気味ですね〜」なんて産婦人科で言われちゃってて、おまけに両脚が何故かぱんっぱんにむくんでいて。旦那さんのLLサイズのビーサンしか履けなくなってた頃だ。真夏で良かった。

この映画は、地方の高校校内でどうやら一番存在感のあるバレー部のキャプテン、「桐島」が「部活を辞めるらしい」って噂話が広がり、その彼を取り巻く生徒たちそれぞれに動揺が走ってわちゃくちゃする物語だ。
そして、そんな動揺する周囲など気にも止めずに、映画部の「前田」は仲間と自主制作ゾンビ映画の撮影に熱心に取り組んでいる、というようないろんな人間模様を描いている。

とにかくいろんなポジションにいる生徒たちの、たった「4日間」の物語だ。


最初に観てから、一度も見返した事は無かった。

当時、この映画に出演していた「東出昌大」はなかなか話題になっていたんですよね。
でも、朝ドラの「ごちそうさん」も観てなかったし、名前も「大東俊介」と、なんか混ざってたし、世間の話題をよく知らんかった。

でその後、漫画の「アオハライド」が映画化されましてね。
原作者の「咲坂衣織」先生の漫画が好きだった私は、話題の「東出昌大」も出てるし、いっちょ観てみるかってな感じで軽い気持ちでレンタルして観たんですよ。
それも公開されてからしばらく経ってたけど。

ほったら…なんでしょう…

「スコーーーン…」

と、軽やかな音を立てて、静かに彼にハマりました。

ハマったのはなんでなんでしょね。
顔はたぶんタイプではない。かっこいいけど、ストライクではない。私は細い垂れ目が好きだ。

で、思うに「骨格」がストライクやったんかと。
手とか、輪郭とか、肩幅とか、背中の曲がり具合とか、手足のバランスとか、まぁ、背の高さも相まったんかも知れんが、とにかくどストライクな骨格やったんよね。

演技はどうやら「棒」で有名やったみたいやけど、喋らんでも演技しんでも、ただ立っているだけで独特の雰囲気を醸し出すその姿には惚れ惚れとした。

これって、神様が与えてくれた「才能」よね。
骨格はいじれませんし、努力でどーにもならんし。
最高のギフトだ。


前置きが長いが、とにかく「東出昌大」にハマった私は、ならば映画デビュー作でもあり、新人賞を総なめにした「桐島、部活やめるってよ」を観なあかんやないかと思ったのだった。
レンタルを、借りて返してまた借りてのループだ。


東出くん演じる、桐島の親友であるところの「宏樹」は美しかった。「顔」じゃない。「身体のフォルム」がだ。
それこそ、ミケランジェロの彫刻を見てうっとりとするかのような感動だ。シルエットの芸術だ。

クラスにこんな人がいたら、好きでもないのに目で追ってしまうやろうと思ったさ。あまつさえ、うっかり接点なんかあったら好きになっちまうやろうなと。

初めて観て、そんな感想を抱いてから10年ほど経ち。
久しぶりに観てみた。
いや、ほんまゆうとずっともっかい観たかった。でも、話がよー分からんかったし苦手なゾンビシーンもあるしで、優先順位から外れていたのだ。

あれから世間とゆうかワイドショーを賑わせてしまった東出くんではあったけど、久しぶりに観た映像の中にいる彼(宏樹)は、10年前と変わらずにそこにいた。

まぁ、当たり前やけど。

つくづく、「映像に罪は無いよな」って思ったよね。演者や監督やらがどんな人間だろうがね、いい作品はいい作品なのだよな。東出くんは別に「罪」を犯しちゃいないが。


さて、それよりも映画の感想だ。

改めて見返すと、心の奥の方がなんだかヒリヒリとした。

狭い世界の中の優れた者と劣る者。
誰が付けたのか分からないが、確かに存在する人間の順位。見下し。

しかし、狭く脆い小さな世界は、たった一人の人間がその場所から降りただけで、ボロボロと簡単に崩れていく。そんな脆い立場に立っている事に、価値など無いのだ。
本当は、見た目がどうだとか、才能があるとか、将来はどうとか、そんな事など関係なく、「何か好きな事に夢中になっているか」というのが、人生というか、一瞬の青春時代においては価値があるんじゃなかろうか、と思う。


桐島が学校からいなくなっただけで、イライラしたり戸惑ったり、実に哀れな若き人間たち。
一番タチが悪かったのは、そんな人達もその立場にいない人も、全員を小馬鹿にして見下しているような宏樹の彼女だったなー。
宏樹、趣味悪いぞ、お前。流れでなんとなく付き合ったんか。

とはいえ、上目遣いで可愛い声を出して甘えてくる様な仕草とかは、単純に可愛いとか思っちまうんだろうな。分かるよ、なんとなく。ちくしょう。

彼女が夢中になれる事は一体なんなんだろ。人より優位に立てる事に価値を感じているだけの、無感動で一番空っぽで気の毒な子だったな。


思えば最近、ごく身近にこんな人がいたんだよね。今は離れられたけど。

だから心がヒリヒリしたんだろうか。
それか、こういう「人より優位に立ちたい」心境って下手すりゃ紙一重だから、私自身も知らない内にこうなってしまったら…と思うと怖くなったし、自分が見えてない姿がなんとも哀れで切なくなったからなのかもしれないな。


ところで、当の「桐島」は一度も出てこない。
ラスト近くで屋上に座っていた遠目な姿と、屋上へ続く階段を登る映画部の前田たちとすれ違ったのが彼かな?って感じたくらいだった。

もしや、「桐島」なんて最初からいなかったんやないの…?って錯覚を起こす様な不思議な演出だ。


ここからは勝手な考察やけど…

小さな地方の高校で、スター的な存在だった桐島は、何かとてつもない挫折を味わったんやないかな。

ずっと打ち込もうと思っていたバレーボールを続けられなくなるくらいの。

姿が見えなくなっただけどころか「部活をやめるかもしれない」って噂だけで、校内が大騒ぎになってしまうような目立つ存在の彼は、苦しい胸の内や弱音を誰にも言えなくなってたんやないかな。


「井の中の蛙」状態になるのは、幼き少年少女にはよくありがちだ。いや、大人だって、チヤホヤしてくれる人に囲まれて暮らしてたら、きっと勘違いするだろう。


最後、宏樹は前田に
「将来は映画監督?」
なんて軽く聞くのだが、
「いやぁ、それはないかな。」
と、返されて意外な顔をする。

撮影を邪魔した目立つグループ達に猛然と立ち向い、映画を撮り続けようとしたくらい熱中しているにも関わらず、将来の夢としては考えていないのだ。

しかし、
「好きな映画と、今、自分たちが撮っている映画が繋がってるって、そう感じるときがあってさ…」
と嬉しそうに言う前田。
そして、カメラのレンズ越しに宏樹を覗いて「かっこいいなぁ」と言う彼に、涙を堪えきれなくなった宏樹は
「いいよ、俺は。」
と言い、立ち去るのだ。


宏樹は、おそらく桐島の一番の友達だった。
目立つ桐島の横で「何者でもない自分」を感じてしまっていたのだろうか。野球部にも行かなくなって、好きな事に打ち込む意味を失っていたのかもしれない。


しかし、前田が撮っているゾンビ映画の

「俺たちはこの世界で生きていかねばならないのだから」

というセリフの通り、私たちはどんな自分だろうとどんな世界だろうと、ただ生きていけばいいのだ。
生きて、楽しんで、何かに夢中になればいい。意味など無くていいのだ。


ラスト、宏樹は桐島に携帯電話をかける。

電話に桐島は出たのか、出なかったのか、何を話したのか、話せなかったのかは描かれてはいない。


でも私は、何者でもなくなった桐島は、何者でもなくていいと気付いた宏樹と、きっと「友達」として話ができたんだろうと。
そう信じているぞ。


#映画感想文

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