現段階での理想は「ヴァルトツヴェルゲ森の幼稚園(Waldzwerge-Waldkindergarten)」! 教育方針編
①ヴァルトツヴェルゲ森の幼稚園を実習地に選んだ最大の理由
ドイツには1500園以上の森の幼稚園があると言われており(対して、日本は150園くらい…?)、自分が交換留学していたボンの周辺にも多くの森の幼稚園があった。その中から実習地を探すわけだが、その中でヴァルトツヴェルゲ森の幼稚園に決めたのは最大の理由は、
「ホームページに各先生の教育理念が掲載されていたから」
である。色んな森の幼稚園のサイトを見たが、基本的には園全体の教育方針を示したり、顔写真が載ってたりするだけの所が多かった。だけど、ヴァルトツヴェルゲは顔写真と共に自分の教育理念掲載されていて、そこに、「あぁ、この森の幼稚園の先生達は、先生として大事にされているし、先生としての誇りを持って、日々子ども達と向き合っているんだろう」と直感で思った。せっかくトビタテの奨学金で1年間、春夏秋冬に沿った森の幼稚園の教育方法を学ぶ機会を得たのだから、情熱を持って働かれている先生達の元で森の幼稚園を学びたいと思った。
興味のある方は、こちらが現在の先生の紹介サイトです☟
この直感に従って正解だったのは言うまでもない。
②先生の心意気に感動
実習を初めてまもなく、先生方に「この森の幼稚園の教育方針は何ですか?」と聞いて回ったところ、一応にして答えられていたのが、
「来てくれた子ども達が、今日という1日を楽しんでくれること」
ということだった。
「思いやりのある子どもに~」とか「将来立派な大人になるように~」とかの答えを予想していた自分は呆気にとられてしまっていたが、「なるほど、その通りだな」と実習を重ねるごとに、先生たちが答えていたことが、「どんなに難しくて、どんなに大変で、でも、どんなに大事なことなのか」理解することができた。
先生方のアプローチというのは殆どが「子ども達を思った」うえで行われていた。ヴァルトツヴェルゲ森の幼稚園のホームページにある教育コンセプト(https://waldzwerge.de/das-konzept/)に記載があるように、「子ども達が欲していることは何か」という視点を常に忘れず、子ども達と接していた。そういう視点を持っていたからこそ、先生達の回答は「来てくれた子ども達が、今日という1日を楽しんでくれること」だったのだと思う。
子ども達は別に「思いやりのある人」になろうなんて思ってないし、「将来立派な人」になろうなんて1nmも希望してない。そんな彼らに、「思いやりを持った人になって欲しい」とか「立派になって欲しい」とか思うのは、その先生のエゴの押し付けだと思う。子ども達は遊びたくて、友達と会いたくて、森の幼稚園が楽しいから来てるだけなんだから、その思いを今日1日という中で最大化させるのが先生の役割であろうと、ヴァルトツヴェルゲ森の幼稚園の先生を見ていて思った。
以前書いたことだが、
相手(=子ども達)を思った行動ができるヴァルトツヴェルゲ森の幼稚園の先生方から教わったことを一言でまとめるなら、
教育とは、子ども達の今日を育てること、つまり、「今日育」である。
という文章にしたい。そして、今日を一つ一つ積み重ねていくことで、子ども達が未来に向かって、イキイキと遊び逞しく成長していけるのだと思う。
③先生の役割分担に感動
ヴァルトツヴェルゲ森の幼稚園の保育体制は前に書いたが、
実習をしてみると、きちんと役割分担されていることに気が付いた。
常任の先生は大体40~50代の先生だったので、森の中で元気いっぱいに遊びまわる子ども達を相手にするのはちょっと厳しい感じだった。そこで出番になるのが、私みたいな若い実習生である。実習生は若いが故に子ども達との経験はそんなに豊富ではないが、やんちゃな子ども達に付き添えるだけの体力は持っている!幸い、自分は小学校と中学校でサッカーをやっていたし、高校では陸上の長距離をやっていたので体力は人一倍自信があった。なので、実習中は元気な子供達と遊ぶことが多かったし、子ども達が年配の先生に「一緒に鬼ごっこしよう」とせがんできた時は、「キーくんと一緒に遊んでおいで」と言われていた。(笑)
若くて経験が少ないからこそ、子ども達について遊びを通じて深く知ることが出来たのはとても良い体験だったし、自分が体がそんなに動かなくなった時に備えて知識を貯めることが出来たと思う。
で、この常任の先生達が力を発揮するのが、新入生(2歳児)の子ども達や物静かな子ども達に対してである。先生方のこれまで培われてきた豊富な経験を活かして、新入生を上手く森の幼稚園の生活に慣れさせるようにサポートしたり、非アクティブな子ども達とお絵描きや読み聞かせなどの遊びを楽しむのだ。また、その豊富な経験から、喧嘩が起きたり、非常事態が起こった時はすぐに問題解決へと導いてくれる。
こうやって、「子ども達の安全性」と「子ども達の遊びたさ」という一見矛盾するような事を同時に満たすために、若い実習生と常任の先生が循環して、子ども達の一日を楽しいモノへと創り上げていく構造に心底感動したのを覚えている。
個人的愚痴
留学前後、社会人として働いている期間を含めて、これまで日本の”森のようちえん”を15園見学させて頂いた。それぞれ考え方があるのでそこは尊重したいが、「これはどうも違うんじゃないかな?」と思ったところを少し述べたい。
①自然体験に偏り過ぎじゃないか?
もちろん、森の幼稚園の特性の一つとして自然体験を挙げることは当たり前だと思うが、それはあくまでも1つの要素であることを忘れてはならないと思う。第一に考えるべきは「子ども達の成長」であり、それを促す方法の一つに自然体験があるわけで、「森の幼稚園=自然体験」と考えるのは短絡的だと思うし、それは単に大人の「子ども達に自然体験をさせたい!」という自身の理想(エゴ)が暴走しているだけに思う。
ある”森のようちえん”を見学させて頂いた時に衝撃的だったのは、「サッカーはやらせません」という言葉を聞いた時だ。理由を尋ねると、「サッカーボールは人工物で、自然の物ではないから」とのたまう。せっかく子ども達がサッカーをしたいという気持ちになっているのに、自身の理想を実現させたいが為に子ども達の自由を制限していて、何とも嫌な気分になった。近年子ども達が自由に遊べる環境が少なくなっている中で、自然という大きなフィールドを使って遊ぶ機会を持てていることを考えれば、制限する意味が分からない。
森の幼稚園はそもそも「遊びを通じて成長していく子ども達にとって、森は彼らの遊びを受容しかつ多様化させることが出来るという点で、最適な遊戯環境だから」ということでやっているわけで、自然体験をさせるのがその第一義ではない。「幼稚園=子ども達を遊ばせて成長させる場所」というのが根本にあって、「じゃあ、子ども達の遊びを最大化できるようにするにはどうしようか?」と考えた末に、「空間的、場所的、活動的にも森がベストなんじゃない!?」と考えた人が森の幼稚園をしているわけで、自然体験はあくまでも、森の中で遊んでたらついてきた「おまけ」的な側面であると思ってる。
②「見守り」の一人歩き…
”森のようちえん”の教育方針として「見守り」を掲げるところが多いと思うが、個人的には「それだけにフォーカスされてもな…」と思う。
子ども達の主体性に任せるのが森の幼稚園の教育方法の根幹だと思うが、そこに大人が介入してはいけないなんて決まりを作るのは、それも先ほどの「自然体験」と同じで、先生側のエゴを子ども達に押し付けているだけに見える。もちろん、先生側が常に子ども達が遊んでいる所に顔を出して、「何してるの?先生もまぜて!」と言うのは論外であるが、子ども達の方から「一緒に遊ぼう!」と誘われた際に、「私たちの役目は見守ることだから、子ども達は遊ばない」と断るのはオカシイと思う。
子どもの特性として4~6歳の幼児期(遊戯期)は、「大人のマネをして、自分もやってみたい」と思う”積極性”が育つ時期であるし、身近な人物になりきって遊ぶ”模倣行動”が盛んに行われる。そんな子ども達の遊びに大人が入れば、子どもの遊びの可能性が広がり、同時に深めることができるのは当然のことであろう。
例えば鬼ごっこを例に挙げれば、足の遅い子ばかりが直ぐに鬼になって楽しくなくなってしまうことはよくあるが、そこに大人が入れば程よく”手抜き”をしてあげて、足の遅い子が頑張って逃げる体験が出来たり、あるいは、すぐに他の子を捕まえることが出来る足の速い子が一生懸命に大人を追いかけたりすることが出来る。サッカーやかくれんぼ、お絵描きとかでも、模倣行動が盛んな子供に「大人の実力」や「大人のアイデア」を見せることで、その子ども達から新たなインスピレーションが生まれることだってある。
前半部分で既に述べたように、ヴァルトツヴェルゲ森の幼稚園のように、「若くて体力のある実習生は遊び専門、経験のある接し方の上手い先生は見守り専門」というようなシステムにした方が、子ども達の為にも、先生の為にもなるように思える。
というか、「見守り」という言葉がなんかセンスが無いなと思ってしまう。静的なイメージしか持たなくて、子ども達と遊ぶという動的な部分をカバーしきれてない感じを持つ。個人的にピッタリくるのは、「付き添い」である。ドイツの森の幼稚園のホームページを見ていると、「Begleiter(ベグライター)」という表現が頻繁に出てくるが、まさに「同伴者、付添人」とかを意味する単語である。付き添いだったら、子ども達を見守ることも、子ども達と遊ぶことも、どちらもカバーできる。
自然体験や見守りを第一主義として掲げてしまう原因の1つは、「自分が見聞きした情報”のみ”に基づいて勘違いをしているから」だと思う。学生の頃に森の幼稚園について書かれた論文をかなり読んだが、どれもこれも「1週間ドイツの森の幼稚園を視察してきました。その時のレポートです!」みたいな感じで、心底参った。そもそも論、森の幼稚園は「「「森」」」を拠点として活動する幼稚園である。で、森は春夏秋冬で全く異なる顔を見せる。だからこそ、森の幼稚園は春夏秋冬に沿った教育方法を実践している。それが分かれば、なぜ1週間視察したからといって「これがドイツの森の幼稚園です!」みたいなデカい顔ができるのか意味が分からない。自分は2014年に1日だけフライブルクの森の幼稚園で実習させてもらい、その時に感じた「この素晴らしい教育の、今日1日だけで見れなかった部分を知りたい。1年間を通じて森の幼稚園の教育方法を知りたい。」という思いから、ヴァルトツヴェルゲ森の幼稚園での1年間の実習に至っている。
自分で経験せずに、他人が言っていたことを鵜呑みにして、「自然体験!」、「見守り!」と熱狂し、子ども達の遊びの自由を制限するなんて、絶対にやってはいけないことだと個人的には思う。そもそも論、森の幼稚園は子ども達の主体的な活動を尊重してやるものだが、先生側自身が日本の教育を受けてきたとしたら、一般的に言って子どもの頃にそうした主体性を尊重する教育経験を受けてないのに、どうして子ども達にそれが出来ようか?個人的にはそう思っていたからこそ、日本で教育免許は取りたくなかったし、ちゃんと森の幼稚園が「文化」として根付いているドイツで0から勉強したいという気持ちが常にあった。
ちなみに、幼稚園を世界的な物にまで発展させた功労者はドイツのフレーベルであるが(彼の業績を称えて、幼稚園という単語は英語でも「Kindergarten(キンダーガルテン)」というドイツ語が使われている。「Childrengarden」でないことから一目瞭然)、彼について書かれた絵の一つに以下のようなものがある☟
個人的な理想像はコレである。見守りなんてクソくらえであり、子ども達から「キーくん、遊ぼ!」と声をかけてもらえたら、二つ返事で遊べるような先生に、年を重ねてもなりたいと思う。というか、「キーくん、遊ぼ!」と声をかけてもらえるような魅力のある先生を維持していきたい。
魅力については既にコチラで記載済み☟
なんか、「キーくん、子ども達と遊び過ぎじゃない」と、本当に時たま言われたことがあるが、そういう先生に限って、全然子ども達から「~先生、遊ぼ!」と言われてない、先生としての魅力が無いのが共通点だから不思議なものである。おそらく、自分が子ども達と一緒に遊べないことからくる嫉妬だなと解釈してたので、無視して子ども達と遊んでたが…笑
で、先生が遊ぶことの重要性を端的に表したのが、日本の幼児教育に多大な影響をもたらした日本の幼児教育の祖である倉橋惣三のこの言葉である☟
いつまでも子ども達を思った行動が出来て、子ども達に付き添える先生を目指して、精進していきたいと思う。
ドイツで1年間実習した証明書&尊敬するレンナー先生からの評価
というわけで、実習中は1対20の鬼ごっこをしたり、「サッカーコーチをしてくれないか」とスカウトされるくらいの腕前ならぬ”足前”を披露しながら元気なドイツのサッカー大好き少年たちを相手にしたりと、体力の許す限り子ども達に付き添っていた自分でした。朝はピカピカな服装が、帰る頃になると泥まみれになっていましたが、その泥は子ども達と思いっきり遊ぶことが出来た勲章だと思っていました。
まぁ、ずっと子ども達と遊んでる訳じゃなくて、子ども達も疲れてくるから、その時は遠目で他の子どもたちを見守ったり、お絵描きしたり、ハンモック揺らしてあげたりしてましたけどね。でも、実習中のほとんどの時間は「キーくん、遊ぼ―!」って子ども達に言われるような日々でした。
一番嬉しかったのは、普段鬼ごっこするようなタイプじゃない静かめの女の子が、他の子どもと自分が鬼ごっこしてる時突然入ってきてくれたことですね。そん時は、なんか、認めてもらえたというか、「キーくんとなら一緒に遊びたい」ってその子が思ってくれたのかなとか考えたりして、結構嬉しかったですね。
教育主任のレンナー先生も自分のことをよくしてくださっていて、「キーくん、子ども達と一緒に遊べるということは先生にとって一番大事なことなんだよ」って言って下さいました。
冒頭で書き忘れていたので、ホームページに記載されていたレンナー先生の文章がコチラ☟
<和訳>
「人生の根源は遊びである。」アラン・ワッツ
子ども達は素晴らしく、私にとって強い関心を持つ的である。子ども達は、遊び好きで、誠実で、興味深くて、希望に満ちていて、愛情が溢れていて、自然体で、固有で、評価しえない短所と長所を持っていて、控えめだけど大胆な所があり、粘り強くて、想像力に溢れて、感謝の心があって、直ぐに和解できるし、全ての感情をさらけ出し、己自身を深めることが出来る才能を持ち、あっという間に大きく成長する。つまり、子ども達はすべてを持ち合わせている。私は教育者としてありのままであり続ける子ども達をサポートし、寄り添い、強くする。
自然は森の幼稚園に対して、心から遊ぶこと、自身の才能を十分に伸ばしたり、自分自身を試す多くの機会を提供してくれる。自然は常に変化の中に存在し、その一瞬一瞬のうちにインスピレーションをもたらしてくれる。ここにある枯死した木、そこにある咲いたばかりの花々、澄んだ泉、園庭、それに加えて「多様な天気」。ここで子ども達は全ての意味を教えてくれる”何か”や自然の遊び場に転がっている”豊富な宝”を見つける。
子ども達と共に自然の中にいることは、園の創始者としての私にとってある特別な体験空間です。先生として、あるいは社会教育学者として、私は多様な経験を体験教育の中でしてきました。Heinrich Jacoby氏、Elfriede Hengstenberg氏ならびにRebeca und Mauricio Wild夫妻は私にインスピレーションを与えました。子ども達や我々の状況にとって有意義であると思われる様々な教育的アプローチに対しては、積極的に取り入れてきました。そして私は「成り行きに任せる」ことに価値を置いています。
この森の幼稚園には設立当初から深くかかわってきました。
近々森の中で会えることを願って
ハンス・ゲオルグ・レンナー
実習が終わる数日前にレンナー先生から証明書を頂きました☟
<和訳>
ヴァルトツヴェルゲ社団法人
教育実習
キーくんは2017年4月18日から2018年3月12日までの期間において、私達の森の幼稚園で教育実習を成し遂げました。
ヴァルトツヴェルゲ森の幼稚園社団法人は2歳から6歳の子ども達を1年中、Decksteiner池の畔にあるケルンの小さな森で世話しています。2007年の12月からグループを2つに拡大し、それに伴い新たな先生を受け入れました。各チームには3人の教員が配置されており、1人はグループの主任、もう1人は副担任、3人目は補足的役割の先生です。キーくんが関わった「星グループ」は2歳から6歳の子ども達が19人所属しています。この森の幼稚園は自然体験教育の考え方、並びに教育的手本の1つであるWild夫妻の「非直接的な積極的教育」というコンセプトに従って活動しています。
キーくんは以下の仕事分野を習得し、経験し、興味を持って共に活動しました。
・コンセプトに沿って計画を立て、実行すること
*天候状況を考慮し、一日の流れを計画し、実行すること
*指導の必要な活動(織る、手仕事、形作る)を計画し、実行すること
・グループの日常において個々の子ども達に対して教育的に付き添うこと
・子ども達のグループに対して教育的に付き添うこと
・いつもの日常において自発的に刺激を与えること
・よじ登るためのロープ遊具の組み立て
・森の中で行われたよじ登るためのロープ遊び器具に関する研修へ参加
・先生のみが行う会議を共に実行
・園内にある道具や資産のメンテナンスと手入れ
・午後のお世話の付き添い(両グループ合同)
・ヨーロッパやドイツにある森の幼稚園でのさらなる実習
キーくんは朝のグループ活動が始まる時間よりも前に姿を現しており、彼の活気に満ちて優しさに溢れる態度によって、既に最初の1ヶ月で子ども達にとって心開かれた信頼のおける存在となりました。
子ども達が支援を必要とする時や子どもが自分自身を試す空間を欲する時に、彼は著しく素晴らしい教育的センスを示しました。
<和訳>
キーくんはとても優れた観察をするだけでなく、積極的に私達の日常のコンセプトに参加することで、私達に寄り添ってくれました。彼は子ども達を愛情に溢れた配慮と関心を持って世話をし、Wild夫妻による「非直接的な積極的教育」という団体の教育的視点を身に着け、深めました。
キーくんは子ども達に関する話し合いの中で、彼の感じたことを伝えることで積極的にチームを支え、新たな視点や方法を与えてくれました。彼は積極的に私達の教育的な日常を豊かにし、我々に日本の文化を伝えてくれました。その点について私達はとても感謝しています。
保護者や役員会や教育チームにおいて、キーくんは最も完全な信頼を得ていました。彼は常に、信頼でき、時間厳守で、「悪天候にも強かった」。
私達はキーくんに対して、彼が果たしてくれた支援に対する大きな感謝と共にお別れをします。私達は彼自身の人生、学生生活、職業的成長において、たくさんの幸運と成功があることを祈ります。
キーくんは教育のプロフェッショナルとして非常に確かに成長されました。ヴァルツヴェルゲではいつでもあなたを心から迎え入れます。
ケルン、2018年3月14日
教育主任 Hans-Georg-Renner 社会教育者
もうね、こんなこと書いて頂いたら、
ドイツで森の幼稚園の先生になるしかないでしょ。