「無知な教師、受験絵画」
今日も仕事だった。
僕は受験絵画を教える仕事をしている。
受験絵画は入試というわかりやすい基準があるのでなんとか教えることができているが、教えるということは本来非常にむずかしいことだ。
僕は日本画を卒業したあと、大学院は芸術学の美術教育というところに入った。ここが唯一制作と論文を両方やるところだったから選んだのだが、色々と思うところがありプロフィールには芸術学までしか書いていない。学歴詐称かもしれない。
まぁここはなかなかとんでもないところだった。詳しくは言わないがさまざまなコンプレックスのうずまく閉鎖的な空間はああいうふうになる運命なのだろう(学生ではなく教員の話だ)。しかし論文の勉強ができたのはよかったし、毎週のゼミなるものも楽しかった。
論文の勉強は、ある意味受験絵画を勉強していた時のように、ひとつずつ正解に近づいていく感覚があった。それは僕が論文の初心者であることや、また変な衒いもプライドもなかったため先生の言うことを素直に聞けたことも大いに関係すると思う。
論文も受験絵画と同じく、描けば描くほど身体化していくのだろう。僕は論文に関しては身体化するまでは書けなかったが、たとえば括弧の付け方、脚注、参考書、一節の長さ、一章の長さ、その他もろもろは書き続けることで内なる規範となり、無意識で論文としての「良い形」になるのだと思う。
僕はまだ括弧の付け方も、たとえば映画のタイトルに使用する括弧はなんだったかな、とか舞台は、展覧会名は?といちいち思い出しながら書いているが。
そんなこんなでなつかしき予備校時代の、「良い形」にむかって前進していく感覚が論文を教わっているときはあり、それが大学院での収穫の一つだったように思う。
冒頭にも言ったがこのようにひとつの強力な形式が存在するものを教える、教わるということは教師と生徒双方にとって齟齬が少なく不幸な事故も起こりにくいだろう。
しかし、芸術とは、絵画とは、などというものを教えるというのはこれは並大抵のことではない。当然僕にはそんなことはできないし、できると嘯く人間は疑ってかからなければならないと思う。
大学院の先生にジャック・ランシエールの『無知な教師』について教わった。これはフランス人教師ジョゼフ・ジャコトの教育観を、ある種ソクラテスに対するプラトンのように虚構的にランシエールが解き明かすというような本だ(たぶんそうだったと思う)。
オランダの子供たちに、オランダ語が全くわからないジャコトがフランス語を教える。共通の言葉がない状態、つまり子供たちはフランス語がまだわからないし、ジャコトはオランダ語がわからない。そんな状態で言語など教えられるのかと誰もが訝しむところだろうが、これがかなりの効果をあげ、生徒たちのフランス語は皆目覚ましい発展を見せるという。
教師に普遍の知識があり、無知な生徒にそれを伝授するという前者を特権的な位置に置く従来の教育法ではなく、ここでは教師も生徒も平等である。
ランシエールによれば平等は目指されるべきものではなく前提である。
これは先ほど述べた強力な形式のある教育とは全く趣が異なる。僕は職場で受験絵画を教えることで僕を超えて生徒の絵が上手くなることを目指しているが、おそらくそれはランシエールによれば不平等の再生産ということになるだろう。
そんなこんなで、僕は芸術という領域で講義という形でなにかやることに案外違和感がある。その形をとった途端、ランシエールの批判する教育の形になってしまうからだ。
受験絵画や論文の初歩に関しては教育というより修行と言った方がふさわしいからそこに対する違和感は少ないのかもしれないな、とふと思った。