日記「ゲルニカ、黄色い絵」
今日やったこと。
朝起きてスシローに行き、誰もいない公園でブーメランの練習。ホームセンターで買い物をし、ギャラリー碧に「小林久子+ピーター・ミラー展」を見に行く。オーナーと談笑し、ニューヨーク在住のアーティストにはもうトランプが勝つことはわかっているらしい、と言う話を聞いた。
その後アトリエで制作をしていたら本当にトランプが勝ってしまった。
体が冷えたのでお風呂に行き、今に至る。
トランプが再び大統領になることで当然日本も、ひいては僕たちも不可避の(良くはない)影響を受けることになるだろうけど、それはそうと僕はとりあえず目の前にある絵を完成に導かなければならない。だが、それで良いのだろうか?
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パスカル・キニャールがマティスについて書いている。
マティスは、娘や妻が収容所に送られたと聞いても絵筆を止めなかった。ニースで愛人と暮らしながら絵を描いていた。当然そこには批判されるべき彼の逃避があるだろう。しかし、娘が帰ってきたとき、マティスは絵を描くのを中断する。
この態度は僕にとって一つの教訓となるかもしれない。すなわち絵筆を止めるべきときとは世界の危機を知ったときではなく、「真の像」と出会ったときである、ということだ。
黄色は幸福の色である。黄色い絵が途中で放棄されたのは、娘が帰ってきたことによって幸福が現実のものとなったがゆえである。絵画の幸福はそのような「真の像」によってのみ中断される。
あるいは逆に、絵画の不幸が中断されるのは現実の不幸によって、不幸の「真の像」によってだろう。世界の危機を知っても制作が中断されないのは、たとえばニュースによって、あるいは人伝によって知った情報は「真の像」ではあり得ないからだ。
「真の像」と出会い、画像=イメージが破壊されるということ、それは当事者となることを意味するだろう。imagoとはイメージ、あるいはデスマスクを意味するラテン語である。デスマスクとイメージの両方に共通するのは何かの代理であるということ。デスマスクであれば死者の、イメージであれば潜在的にはあらゆるものの代理となりうる。
その代理という性質が破壊されるとき人は当事者という立場にある。
何かの代用品としての「イメージ=絵画」を作る画家における当事者性の欠如を表す有名なエピソードがある。ピカソが《ゲルニカ》を展示したとき、ドイツ人将校が来て「この作品を作ったのはあなたか」と尋ねた。それに対しピカソは「いいえ、あなたたちだ」と答えたという。
このように《ゲルニカ》とは、ある意味では暴力によって間接的に描かされた作品である。真の意味でピカソは当事者ではない。
《ゲルニカ》を描いたピカソと、戦争中にニースで裸婦ばかり描いていたマティスとを比較して後者を批判する論調もあったようだが、両者とも「真の像」と出会うことを避け制作を続けたという点では同一である。そしてマティスには不意にそれと出会う瞬間があった。それゆえ黄色い絵は中途のまま留め置かれる。黄色い絵が表現するはずであったものとの距離がもはや存在しなくなってしまったからであろう。
今のところ頻繁に「真の像」と出会うことのない生活を送れているからこそ絵など描くことができている。将来的にそのようなものが芸術としてどのような評価を下されるかはわからないが、少なくとも今の僕にとってはこのように作るしかない。
中断するなら願わくば黄色い絵を。中断された《ゲルニカ》がもっとも不幸なものであるだろうから。