現代の教養のための大学入試小論文 #19 ~子ども遊びと「地べた」~
ごきげんよう。小論ラボの菊池です。
昔と比べて、現在では子どもの遊びがどのような形になっているのか、「地べた」を軸に展開した課題文を扱います。
キーワード
子どもの遊びと「地べた」
説明と要約
遊びに関していえば、昔は「遊ぶ」といえば「外で遊ぶ」ことと同じ意味であったし、どの遊びも「地べた」と仲が良かった。
地面は遊びのアイテムとしての役割を超えて、私たちに「感じる」あるいは「そこにとどまる」という感覚を養ってくれていた。
現代では、都会に住んでいれば一日の生活の中で土の上を歩くことはないし、地方でも車での移動が多く、外で遊んでいる子どもは少ない。
私たちは、地べたから何センチも身を離して暮らしているうちに、自分の目線からのみ物事を見るようになって、小さな芽吹きに気付かなくなっているのではないだろうか。咲かない花の存在や価値に目を向けなくなっているとしたら、不幸をかぶるのは、自然に最も近いところに存在する子どもたちなのだ。
出典
小山貴士・河道貴子『心をとめて森を歩く』「豊かな心はどこから…」60~63頁 聖公会出版
出題校
中村学園大学教育学部児童幼児教育学科(推薦入試)
解説
現代においては、地面は舗装され限られた部分にしか「地べた」はありません。かつては様々な植物や虫たちといった「自然」がコンクリートで覆われてしまったといえます。私たちは、生活の利便性のためにこのような「舗装」を行ったわけですが、それは「私たち」の目線でしかないのかもしれません。その目線からは、「子どもたちの視点」が欠けているのではないでしょうか。本来「地べた」に一番近いのは子どもたちです。彼らが地べたから受けていたもの、具体的には自然の発見や自然の不思議さの発見から得ていた視野の広がりが欠けるようになったのではないでしょうか。「大人の論理」で社会を構築するのもいいことばかりではないということのようです。
拙著もよろしくお願いいたします。それでは♨
いいなと思ったら応援しよう!
皆さまのサポートで、古今東西の書物を読み、よりよい菊池になりたいと思っております。