【詩】疑問形
今まさに子どもを作ろうとしている人の中の
いったい誰が
子どもにいじめっ子になってほしいと望むのだろうか
いや望むのかもしれない
「いじめられるよりかはマシさ」
とか言って
今まさにいじめられている子どもといじめている子ども
の親もまた
たいがい いじめの輪の中にいたことは
忘れられている
いじめを目撃することは
人類への全般的な希望を
二日間放逐するような後味の悪さ
やっと逃れたと思ったら
また新しいいじめを突き付けられるんだ
ぼくは強制収容所についての手記を読むのが好きだけど
そうすると
すべての事象がアウシュヴィッツの醜さを宿しているようにみえる
7歳くらいの子どもにも そういう子供が成人した後にも
いや逆だろうか?
アウシュヴィッツがすべてのものごとの醜さに共通する芽を宿しているのだろうか
いずれにせよ
それらには相通じるところがある
あと戦争もそうだ
それが 教室でのいじめ 親の暴力に決定的に同じ質の悪意を発していて
悪夢となって
十分に語りつくす前に 孤独な人間を心理的に叩きのめすのだ
わかるかい?
なになに
「言葉にしないと分からない」だって?
「限定的な合理性の中で語れ」だって?
と考えているうちに
「もういいや」
となるのは
幸せな人間の証かい?