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✍️|正しいライティングってなんだ/あのときは「こがね」じゃなくて絶対「おうごん」って書きたかった

もう10年くらい前になるか、ある舞台脚本を書く機会をいただいた。

明治維新後、開拓が進んでいった日本のとある村。
「山ひとつに百文の値打ちしかない」と蔑まれ
草も育たないような枯れた野へ、
命をかけて水をひき、開墾をすすめた男は
クライマックスで「見渡す限りに稲穂が広がる」光景を喜ぶ。

私はそのシーンのせりふ回しの中で
「黄金の色に染まった」という言葉を使ったのだが、それがいけなかった。

「これ(黄金)はなんと読むの?」と主宰の方に問われて
「『おうごん』です」と答えたとき、それはそれはばかにされたのだ。

「常識があればそんな音読みはしない、
日本文化を知っていれば『こがね』、『こがねいろ』だろう。
そこの感覚が備わってないと厳しいよ」

「わかってなさ」をこれでもかと指摘され、
他にも 大切にしたいことがすれ違ったりして、
結局 脚本は外されてしまった。
そのときの今生もうないだろうというほどのばかにされ具合にも、
反論できなかった自分にもいたたまれなくて
「アー!!!」と叫びたくなるほど嫌な思い出。

でもあれは絶対に「おうごん」と読んでほしかった

実った稲穂の美しさを「こがねいろ」と表すことは知っている。
でも音象徴的に重たさがほしかったし、
色の風合いを表すだけじゃなくて
「三文」の値打ちを振り切ったどでかい価値を示したかった。
こがね、ではなくて おうごんのいろ と口にしてほしかった
それを私は言えなかった。
言えなかったことで、わくわくする作品を手放してしまった。

常識的にこうでしょう、正しくはこうでしょう、から
意図的に外したいときが ままある。
コピーワークのときもめっちゃある。

①推敲したんだったら、自分の感覚にちゃんと自信をもつ
②「常識的にこうでしょ」という見方があることを自覚する
③②を分かった上で①を推したい理由を言語化して
 ていねいにプレゼンする

という3段階、今はがしがしできるけれど
当時もこの言語化スキルがあれば、
関係性構築も脚本執筆も気持ちよく続けられていたんじゃないかな。

この時期、黄金の色に染まる
(かつて実際に大きな開拓が成功した)
地元の風景を見るにつけ毎年思い出す「アー!!!」を
いったん吐き出して成仏してみるの巻でした。

ありがとう天鏡湖もとい猪苗代湖


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