『良心をもたない人たち』/マーサ・スタウト
思考や振舞いが自分と異なるからといって、他人を軽々しくサイコパス扱いなどしてはならない。
自分とは相容れないかもしれないが、その人にはその人なりの考えがあるのだから。
私は、いちおう良識ある社会人の一人であるつもりなので、常日頃はそのように考えているのだが、実害が出てきたので言わせてもらう。
出会ってしまいましたよ。サイコパスに。
想像してみてほしい―もし想像がつくなら、の話だが。
あなたに良心というものがかけらもなく、どんなことをしても罪の意識や良心の呵責を感じず、他人、友人、あるいは家族の幸せのために、自制する気持ちがまるで働かないとしたら…。
人生の中で、どれほど自分本位な、怠惰な、有害な、あるいは不道徳な行為をしても、恥をまったく感じないとしたら。
そして、責任という概念は自分とは無縁のもので、自分以外のばかなお人よしが文句も言わずに引き受けている重荷、としか感じられないとしたら。
この本の冒頭の文章だ。
いやもう、すとんと腹落ちしましたね。
あの方の振舞いは、こういうことなのかと。
○ 怒鳴りつける:「この馬鹿が!」「あんたは何一つ仕事ができない!」
(…親父にも言われたことないのに…!)
○ 威張り散らす:「この私を誰だと思ってるんだ!」
(…まじか…リアルで言う人、初めて見たよ…)
○ 人のせいにする:「私はそんなこと言っていない!あの人が言ったんだ!」
(…おっしゃいましたがな…みんな聞いてますがな…)
ざっくり例を挙げるとこういう感じ。
にわかに信じがたいのだが、こういう人が本当にいる。
その振舞いが全く理解できなかったのだが、この本を読んでわかった。
良心がないのだ。
私たちにとって良心は全能の現場監督であり、私たちの行動にルールを与え、ルールを破ったときは感情的な罰をあたえる。私たちが良心を求めたわけではない。良心は皮膚や肺や心臓と同じように、生まれたときからそなわっているものだ。言ってみれば、私たちはそのありがたみも感じていない。そして、自分に良心がない状態は、想像することもできない。
私たちは常々、程度の差こそあれ、
自分がこう言ったら相手はどう思うだろうか、気分を害さないだろうか、自分に対して悪い感情をもたないだろうか、と考える。
何か発言した後で、くよくよ、うじうじと悩むこともある。
私などは一周回って、他人に気を使いすぎたら何もできないんだから 自分の思ったことをやりなさい、と自分を鼓舞することもある。
ところがなんと、他人を傷つけても、全く何の痛みも感じない人がいるというのだ。
本を読み進めていくうちに、ゾワゾワと寒気がしてきた。
これだ。
今、私が相対しているのはこういう人だ。
すみません、逃げます。
周りの人はいい人ばかりなのにとか、仕事の責任というのがあるじゃないかとか、今後の心配とか、もろもろあるけれど、自分の心と体を守るのが一番大事。
事業自体もごっついヤバイし、ここは全力で逃げます。
しかしながら、ブラック企業は、入るのは簡単だけど出るのは難しいんだよねぇ。
さーて次回は、「実録!労働問題!」かな?
お楽しみにね!