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自己紹介2(吃音がある中学生が、医師を目指した理由)

おはようございます、菊池良和です。2回目は自分の吃音について簡単にお話させていただきます。

私は3人兄弟の真ん中。3歳前後で吃音が始まり、幼稚園の記憶としては、転園時の自己紹介がうまく言えなかったこと、お遊戯会のセリフを言うことがとても嫌だったことをかすかに覚えています。逆に言うと、それ以外の、親と話していて苦しかったなどの記憶はありません

小学生に入学後、健康観察で、「はい、元気です!」が言えない時期があったことを覚えています。不思議ですが、ずっと「はい、元気です!」が言えない訳ではなく、困っていない時期の方が多かったです。音読の宿題で、「すらすら読めるように」というチェック項目があったのですが、何回読んでも「すらすら読めるように」ならないために、泣いた記憶もありました。

小学2年生の時に両親が心配し、吃音のある子を集めた「音読練習会」のような所に連れていかれた記憶があります。自分と同じと聞かされていたが、他の児童は流暢に話せていたが、自分が一番吃音が重いのではないか、と思っていました。半年ぐらい、月に2回通っていましたが、多分、私が行かない、と言ったためか、それ以降は吃音のことを両親とは話すことはなかったです。

小学校3,4年生の時は、吃音がなおったのではないかと思っていましたら、小学5年生の時の新任の担任の先生と相性が悪かったです。学級崩壊となっているクラスで、授業中に後ろの人と話していると、殴られた記憶があります。そして、音読を丸読みで順番に読むことをしていましたが、とても、とても音読したくなかったです。自分の順番となり、私は、

「読みません」

と言って、3階のクラスを飛び出しました。それ以降は記憶は曖昧ですが、1階の水飲み場にいたかすかな記憶はあります。「誰も、自分の音読の恐怖感を分かってくれない」とも思っていましたし、小学6年生の担任の先生とも相性が悪かったです。

転勤族だった親は私の将来を心配して、寮付きの中高一貫校に入学させようと、小学6年生から塾に通い始めました。少人数でしたが、塾の先生はとても相性が良く、学校は嫌いでしたが、塾は好きでした。宿題の量が多く、同級生は宿題をしていないと殴られる場面を見て、怖いなとも思っていたので、宿題を頑張ってしていました。受験では、結局、志望していた私立中学は不合格で、地元の公立中学校に進学しました

中学に入学して、環境が変わったこと、思春期となり内面に注目する年齢のため、吃音のことが頭から離れませんでした。中学1年生の時、吃音(きつおん)という名前は知りませんでした。”どもり”という言葉は知っており、どもり=言葉を繰り返すこと、という理解でした。昔は”どもり”だったけど、今は、別の声が出ない病気になってしまったのではないかと。

「病院に行けば、なんとかなるのではないか」と思いました。でも、自分が「病院に行きたい」と言うと、親に「なんで?」と質問するときに、自分の悩みを打ち明けられるほどのオープンな親子関係ではありませんでした。

「病院に行けば・・・」
「病院に行けば・・・」
と考えていた時に、ふと、
「自分が病院の先生になれば、自分の悩みから解放されるのではないか」
と気づき、背負っていた悩みの解決口が見つかった気がしました。その後、猛勉強にて、鹿児島のラ・サール高校から、医学部に入学し、現在、医師となっています。

私の自叙伝に詳しく書いています。

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菊池良和/吃音のある医師
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